陽はまた昇る 作:越水 涼

 〈2020年春〉

 2020年、東京オリンピックを迎え、人々の心にはワクワク感が高まりつつあった。しかし、1月、2月、3月、4月と状況はとてつもなく大きな相手、ウイルスとの闘いを私たちは強いられていた。
 こんな世界を誰が想像しえたであろうか。
 愛しい人との暮らし、辛いながらも楽しみを見出した仕事をする生活。それらが思いもしない、目には見えぬ二つの大きな圧力に押し潰されそうになっている。
 去年は10連休を持て余しながらも、そんな二つの圧力もなく、ただ、会社から逃れられる日々を楽しんでいたのに。今年は、「家に居ましょう」と。
 私は、涼しい日を選んで、祖母と父の遺した畑の草むしりに出かけた。今年の5月の大型連休の二日目のことであった。




 〈 2020年初夏〉

  私には六歳下の妻と大学生の娘二人と今年小学生になった娘がいる。毎日の平凡な生活に感謝して生きている。外では、どこかの家のテレビアンテナに停まって鳴く鳩の声がしている。網戸にした窓のカーテンは緩やかな風にふわっとたなびいている。その風に乗って、時に何かの植物から発せられる青臭い匂いもしている。今日は日曜日。家には私しかいない。気ままな休日、まだ誰にも話していないブログ小説に取り掛かった。



 今となってはここ数年の当たり前に行っている朝のスタイル。
「おはよう」
「うん」
 妻はもう私たちの今日の弁当を作り始めている。
 ラジオを点けて地元ラジオ局の番組を流す。私はお仏飯を用意し、仏壇で手を合わせる。そして傍にある父の遺影に心の中で唱える。
「娘の就活が上手く行きますように」
 顔も洗わず、パジャマのままの私に父は微笑んでいる。
 そして、玄関のドアを開け、外へ出る。新聞を新聞受けから取り出して、ふと隣の家の紫陽花が大きくなったのに気付いた。



 〈2013年春から夏〉

 七年前のその季節、私にはこんな余裕のある気持ちは皆無だった。五月の連休には例年のごとく休日出勤。そして、忘れもしない五月三十日。何か本当に自分ではない感覚。会社に行ったものの、何もできない。自分はおかしくなったのか?
「部長、何かおかしいです。早退させて下さい。頭が働かないんです」
 私は自分の借りている駐車場から妻に電話をかけた。
「車の運転できるの?」
「うん。たぶんできるよ」
 私は本当は運転も心配だった。この時、私は脳に腫瘍でもできているのでは?手術しないといけない、と思っていた。自分は精神的に弱い人間ではないと思っていたのだ。
 帰宅して、妻と相談して、電話帳でメンタルクリニックを探した。翌日妻の運転でそこへ行くことになった。

 明らかに今まで行ったことのある病院とは違う雰囲気の病院。状況を書き、待合で待った。診察が始まり、こちらから色々と話した。
「これは、うつ病とは言えないですねえ」
「何も考えられないんです。気力が湧かないんです」
 正直なところ、この時の先生との会話を私は殆ど覚えていない。先生は、自分がどうしたいかを考えるようにとか、自分で解決しないとどうにもならないと、言ったように思う。私は何かにすがろうとしたのに、先生にも突き放された気がした。その日は、睡眠薬の処方箋をもらい、また一週間後に来るように言われた。
 夜、眠れないのだ。何もする気になれない。好きなビールも飲まず、家族より何時間も前に横になって目を瞑るのだが、一向に眠れない。明け方になって少し眠った気もするが、殆ど眠っていない。会社にも行きたくない。でも、これもやらなきゃ、あれもある、自分が行かなきゃどうなる?そんな気持ちで会社に向かった。
 しかし、私は会社に行っても、机の上を見ているだけの状態で、極々簡単なことしかできない。ある日、弁当をそそくさと半分だけ食べ、このまま死んでしまったら何も考えなくていいんだろうなと思うようになった。
 最初の診療から一週間後、会社を休み病院へ行く。私自身特に変化はない。相変わらず、眠れない日が続いていた。何もやる気が起きない。またもや先生は、自分が変わるしかないと言う。
 部長と部下にこの時期の重要な仕事をやってもらうことになった。家では妻がどんな仕事があるか列挙してくれて、振り分けてもらうようにした。

 別のある日、会社の屋上へ向かう。エアコンの室外機の音や会社の前の大通りの車の音。下を覗き込んでも、私には到底飛び降りる勇気などなかった。
 睡眠薬を飲んでも眠れない。同じような日々が続いた。このまま会社を辞めてしまおうか?しかし、収入がなくなったら、妻や子どもはどうなる?毎日横になって考えることはそんなことばかりだった。一向に変わらない私と一緒に、菓子箱を持って妻が会社に付き添ってくれた。社長、部長に話をした。
 「私には課長は無理です」
 会社も、次の課長をどうするか考え始めたようだった。梅雨の季節、傘を差して黙り込んだ二人は駐車場へ歩いた。


 七月になると暑い日が続くようになったが、だんだんと眠れる日が出てきた。食べる量も徐々に増えて行った。仕事も多少なりともできるようになった。そんな中、父が急死した。家族や周りの人達に助けてもらい葬儀を済ませた。


 〈2020年6月〉
 今、私の眼前には池がある。長く久しぶりに来た。池の大きな石の上に亀が一匹。私はあの時と同じように、わざとその亀の横に石つぶてを放り投げた。驚いた亀は頭を引っ込めた。池の向こうには、これも久しぶりに見たスーパームーン。七年前の五月から七月の私は明らかにおかしかった。その頃の私の手帳には一切の記入がなく、計画も次に繋げるための日記代わりのメモも書かれていない。
 入試のために、就職のために、給料のためにと誰もが、目標や目的を持って頑張りましょう、と教えられて来たし、大抵の人はそう思って頑張っている。しかし、それが重荷になって苦痛になってしまう。将来、未来に自分がこうなっていたいと考え、そのために努力する姿は確かに素晴らしい。しかし、余りにそれが度を越えていたら、不安が不安を呼んだらどうなってしまうだろう。
 私のそばには愛する妻と娘たちがいる。私はもう、気ままにその時だけのことを考えればいいと思うのだ。七年前に偶然に見つけた池の亀のように、首を出すときには出して、引っ込める時には引っ込めて身を守ればいいと思うのだ。


 

コメント

人気の投稿