私はいつまでもあなたと歩きたかった 第六章 回想(四) 作:越水 涼

 第六章 回想(四)

 今朝からずっと、蝉が中途半端に鳴いている。否、カタカタとも聞こえるしコロコロとも聞こえる。はたまたジージーとも。本来ならばジワージワージワーを何分も何回も繰り返すところなのに、それによって真夏を感じさせられるのに。鳴くための温度が高すぎるのか、低すぎるのか、はたまた他のせいなのか私には分からない。今朝気付いてからもう三時間もその状態が続いている。

 今日は八月最後の土曜日。仕事は休みだ。伊古部の海へ行った夢。あの夢の日から三週間が過ぎた。決まったように朝五時に目が覚め、八時には職場に行き、六時には職場を出る。そんな日々が相変わらず続いている。

 それをきっかけに、仕事中も時々ふと、学生の頃のことを思い出すようになってしまった。大学で就職課にいる私は学生と話すことも多い。私の時代に比べれば、今の学生はとても真面目に見える。いつまでにこういうことを調べて、こういう動きをすれば恐らくこういう結果が出る、などということをよく知っている。全てが自分の就職に有利になるか、自分のキャリアに得になるかどうかで決めている。私はそんな彼ら、彼女らのずっと後ろに立っている昔の私を見ている。貴女は何を考えていたの?何を求めていたの?何者になりたったの?自分のことを思い出そうとする。

 確か九月の中旬までは夏休みだったように思う。あの後、時々私はわざわざ大学へ行った。彼が来ていないかなと期待して行った。夏休みの構内はとても静かで、ただ蝉の声だけが時折聞こえて来た。帰省する学生、この時とばかりにアルバイトにいそしむ学生が多かった。彼も夏休みに集中的に稼ぐのだと言っていた。農地を宅地や工場に変えるための土方作業、道路を新しく整備するための測量の補助、中学生相手の塾の先生といったアルバイトを彼は掛け持ちするのだと、あの海で聞いた。彼は”貧乏学生”だった。日本育英会の奨学金三万九千円と故郷からの仕送りで生活し、夏休みのアルバイトで学費を捻出してきたらしい。

 BOXを夏休み中に三回訪問したと思う。そのうちの一回、偶然彼に会えたのだった。丁度今来たところだと言う彼。私は嬉しさの余り飛び上がりそうになるのを何とか抑えて平然を装って言った。

「偶然でしたね。今日はラッキーでした」

「ああ、今日だけ休みなんだ。バイト」と彼が笑った。

「昼飯でもどう?駅前に旨いラーメン屋があるんだけど」

 勿論私は行くと返事をした。どこへでも連れて行ってほしいと思った。

「じゃあ行こう」

 私達は、大学前駅から新豊橋駅への電車に乗った。改札を出ると彼は振り向いて言った。

「まず、精文館書店に行きたいんだけど」

「はい」

「日記帳、買おうよ。交換日記用にさ」

「こうかんにっき?」

 私が聞き返そうとするのも構わず、ときわアーケードの入り口にあるその書店へ彼はさっさと歩いて行った。


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