私はいつまでもあなたと歩きたかった 第十一章 青春の影 作:越水 涼

第十一章 青春の影

 偶然にも元々そのドラマは二十五年前の七月から九月にかけて放送されていたもので、私は三十歳、結婚を考えている頃だった。そのドラマを当時真剣に観ていたしその数年前に浩二と曖昧なまま別れる形になった私にとって、深く考えさせられるドラマだった。

「それで、そう言えば主人公二人の名前が俺達と一緒だって気付いてさあ。当時気付いていたか覚えてないんだけど」

「そうだった?」

 本当は私はちゃんと気付いていた。常盤貴子演ずる女優の卵”水野紘子”と豊川悦司演ずる聴覚に障がいのある画家”榊晃次”。字は違うが同じ名だったのだ。

「何とか自分の気持ちを相手に伝えようと手話やFAXや筆談でお互いに努力したんだよなあ」

「ええ」

「今のように携帯がないし。公衆電話や公園っていうのが何か時代の象徴だったね。FAX機を買うのに十三万円位だっけ?紘子はバイト掛け持ちしてさ。時代や周りの風景が違っても人と人とが分かり合う為にはお互いが何回も何十回もしっかり向き合ってやり取りして、自分の気持ちをストレートに相手に伝えようと、伝わる迄ひたむきに努力するっていうことが大事なんだなって」

 浩二は一息つくようにお酒を飲んだ。店内には相変わらず私達の他に客は入って来ない。

 ジャズの曲調が変わったようだ。それは、また偶然にも昔聴いたことのある曲だった。

「あれっ、キース・ジャレット?」浩二が言った。

「うん。そうだわ。浩二の下宿に行った時よく聴いた曲よ」

 私が二十歳。浩二が二十二歳の誕生日に居酒屋で飲んで部屋に初めて泊まった。その四畳半の部屋は狭く、ウオークマンに小さなスピーカーを繋げて、誰かに録音してもらったカセットテープのキース・ジャレットをその夜も聴かせてくれたのだった。何か切なく、哀しげなピアノにドラムと大きなベースのトリオの曲。 

 部屋でインスタントコーヒーを飲み乍ら二人並んで文庫本を読んだり、サークルの次のミニコミ誌のネタを考えたりした。彼の部屋にはテレビはなかった。そんなことを思い出し乍ら二人暫く曲に浸った。

「懐かしいなあ。学生時代以来だなあ。これ聴くの」

 浩二はあの夜のことを覚えているのだろうか。一月の終わりで寒い夜だった。小さな電気ストーブしかない部屋で二人毛布にくるまった。そのうち彼は文庫本を片手に眠ってしまったのに私は眠ることもできず、ただ彼の手を握っていた。ずっと続いていた交換日記には彼から幾度となく「君を抱きしめたい」と書かれていたし、勿論私は彼を大好きだったから部屋に泊まる決心をしたのに。彼にはそんなシナリオはなかったのだろうか?



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