私はいつまでもあなたと歩きたかった 第九章 再々会 作:越水 涼

第九章 再々会

 電話を貰ってからの二週間、私は落ち着かなかった。職場でもうわの空で、”田島さん”と同僚に呼ばれているのに気付かない。名古屋でのあり得ない偶然の再会からもう半年以上が経っている。何度も何度も彼との古い記憶を呼び寄せて来た日々だった。

 そして今日、私は彼と再び会う。待ち合わせの十二時にはまだまだ時間がある。仕事がある日と同じ六時前には起きてゆっくり朝食をとる。一人暮らしになってからというもの、朝はトースト一枚とコーヒーだけになってしまった。子どもがいた頃は自分のと二人分の弁当も作っていたのに、もう彼方の思い出になってしまった。しかし今日は、こんな私でも、職場に行く時にはしない様な濃いめの化粧をする。念入りに目尻の皺を隠し真っ赤な紅を引いた。着る服も迷った挙句パンツではなくワンピースにした。家から徒歩で福井駅に向かっても九時三十八分発の特急サンダーバードには余裕で間に合う。

 五十分で金沢駅に着いた。今日は秋晴れで突き抜けるように空が青い。この街には娘が高校生の頃にはよく付き合わされた。だがもう今は年に一度来るか来ないかになってしまった。探せば色々あるのだろうが一人で来ても面白味がない。いつからだろう、新しい物にも興味さえ湧かなくなってしまったのは。

 ゆっくり歩く。駅前の小さな人工池には少し遅めの小さな睡蓮が浮かび、ピンクの花を咲かせていた。綺麗だ。冷静に花を見るのも久し振りだ。何だか浮き浮きしている。バスでもよかったのだが私は歩く方を選んだ。昔浩二は車もなくバイクもなく常に金欠だったから大抵歩いて喫茶店に行くのがデートコースだった。

 ひがし茶屋街での待ち合わせだから浅野川で少し時間を潰すことにしよう。ゆっくり歩いても二十分位だろう。秋とは言え快晴の日に歩いて少し汗ばんだ。浅野川大橋の手前を右に折れると、私は以前ある音楽番組でユーミンも渡った梅ノ橋へと向かった。そして、橋のたもとにある階段に腰かけてゆっくりと流れる浅野川の川面をぼんやりと見つめた。その前方にはひがし茶屋街へと繋がる道がある筈だ。

 その浅野川の流れを見乍らまた私は過去の記憶を辿った。それは大学二年生になった春。浩二と行った岡崎の乙川の風景だ。名鉄東岡崎駅を出て左へ歩き乙川に掛かる橋へと通じる道があったと思う。少し傾斜があるその大通りを上り終えると乙川があり左前方に聳え立つ岡崎城が見えた。乙川沿いには満開の桜並木が遠くまで延び本当に綺麗な光景だった。岡崎公園には遠足の保育園児の集団がいて、そこを通り掛かった私達に何故だかまとわりついてくるのだった。小さなその子どもに何の躊躇いもなく手を差し出して握手して、頭を撫でる浩二に驚いた。いつも怖く無表情な彼にそんな一面があったのだと。

 そしてまた別のデートの日は岡崎公園の近くの”アルデンテ”という喫茶店に入った。石段を上がると店の入り口がありドアを開けたすぐの本棚の上に金魚鉢があり、いつも二・三匹のずんぐりしたオレンジ色の金魚がいたのを憶えている。その店では彼はいつもオムライスを頼んだ。極々普通のオムライスだったが故郷のお母さんの作るのに味が一緒だと言っていた。

 ふと腕時計を見ると十一時半になっていた。目の前の草むらから何か虫の鳴き声が聞こえ、遠くにひぐらしの声が聞こえる。だんだんと波打つ胸の鼓動を感じ乍ら私は腰を上げた。私は太い木でできた梅ノ橋を歩きひがし茶屋街へと向かった。

 

 

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