祖父の思い出 作:越水 涼

祖父の思い出 作:越水 涼

 秋も深まり何か人恋しい季節になると、私は亡くなった祖父に会いたいと思うことがある。

 今から三十三年前に亡くなっている。その年は私が社会人になった年で、その四ヶ月ほど後に亡くなった。たまたま会社が休みの日で家にいた私は布団の上で亡くなっていく祖父を見送ることができた。今の私以上に口数の少なかった祖父だった。少なくとも私の前ではそうだった。でも聞くところによると、旧制中学に通っている頃、若くして父親を亡くして、家業を継いだらしい。私にはよくわかるが、やはり口数が多く、声が大きく、おれがおれがという人でないと商売は上手くいかないだろう。

 私が高校生までは毎日同じ家に生活し同じ朝食と夕食を食べていたはずだから、私が気付かない部分できっと大事な孫として見ていてくれたと思う。長男の長男だからだ。

 思いつくままに書くとすれば、読書家の祖父。町の図書館で借りて来た「山岡荘八」などを読んでいた。テレビは時代劇と大相撲で、歌番組やスポーツは観ていなかったと思う。箱でビールを買っていたから多分、祖父と父が飲んでいたのだろう。キリンビールとヱビスビールが記憶にある。煙草も吸っていた。食事もテレビも煙草も同じ部屋だったからよく吸っていたのを憶えている。エコーやわかばだったと思う。私の家は隣が薬局で祖父は煙草を私によく買いに行かせた。カートンではなく一箱か二箱だ。お釣りが少し出るように小銭を渡してお使いに行かせた。”お駄賃”がうれしかった。もちろん何か会話があったと思うのだがよく憶えていない。

 昔は風呂が外にあり、木をくべて燃料にしていた。その木を小さく切るのが祖父の役で、私もなたを使わせてもらい切る手伝いをしたものだ。父も母も車の免許を持っていないから隣町のショッピングセンターには祖父の運転で行った。私が生まれて初めて乗ったのは多分祖父の”オート三輪”だった。町内の子供会の旅行も祖父と祖母が付き添ってくれた。祖父に私がよく似ているらしく「〇〇さんの孫ってすぐわかるなあ」と言われたようだ。

 太い声で低い声というのは憶えているのだが、こういう会話をしたというのが思い出せないのだ。しかし、私に続いてあなたのひ孫は二人ともあなたが残念ながら途中で退学した学校を卒業して今は成人もしているのですよ、と報告したい。

「おじいさん、私もいい歳になってしまいました。たまには夢に出て来てくださいよ」

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