片道一九八〇円の旅 一.プロローグ 作:越水 涼

一.プロローグ

 秋晴れの朝、河井浩二はJRの或る駅のホームにいた。スーツにネクタイ姿なのに今日は通勤ではない。休暇を取って一人旅を楽しもうというのだ。一人旅ではなく妻を誘えばいいのだが今日は昔を訪ねるという目的があり、そこは妻にとっては御一緒する何の必然性もない。彼がその街に暮らした五年の日々の気持ちや想い出は彼自身にしか分からないし、三十三年も経った今彼自身にももう、靄がかかった様にはっきりしないのだ。

 今日のこれからの行動は彼以外誰も知らない。今日、彼はその靄を晴らそうとしているのだ。今週に入ってからというもの、仕事中も何処を回ろうか何を探そうかという思いで頭が一杯になっている。今更何をそんな昔を振り返ってどうなる、という気持ちよりも、何か今の自分にとってプラスになるのではという気持ちが僅かに勝ったのだ。

 行くと決めてから浩二は四六時中そのことばかり考えていた。興奮していた。当時はアルバイトやサークルで時間もなく、金もなく行ったことのないエリアも回ってみようと思っていた。否、行ったことのない理由はそうではなく、彼は大学の中と下宿の近辺でしか行動しなかっただけなのだ。「世間が狭い」と言えば的を得ているだろうか。

 今日は片道定価一九八〇円、使える時間は一〇時間で何かを想い出せるだろうか?何かを見出せるだろうか?


コメント

人気の投稿