片道一九八〇円の旅 三.昼間から蕎麦とビール 作:越水 涼

三.昼間から蕎麦とビール 

 目の前を路面電車が通る。河井浩二は信号を渡りまだ先へ進んだ。携帯の時間を見ると丁度十一時。そろそろ昼食をと考えていた。ふと左に入る道に目立つ看板がある。”ゆずきりそば 釜揚げうどん 麺処勢川”と書かれている。ここにしよう。昨日ネットで調べていた店の一つだったが、道順を知って歩いて来たわけではない。出会ったのはあくまで偶然だ。確か豊橋市内で十店舗以上ある老舗だ。

 自動ドアが開くと同時に中から威勢のいい声が掛かった。三人の店員が浩二を見る。壁に向かってのカウンター席に座る。メニューを見ると”豊橋カレーうどん”が押しの様だが、ゆずきりそばとキリンラガービールを注文する。今日は”ざるそば”と決めていた。店内にはまだ他に客はいなかったが、しかしその雰囲気はすぐに客が入ってくる予感がした。

 数分で蕎麦とビールが来た。目の前に置かれた”ゆずきりそば”は薄い黄土色が少し緑にも見える。一つまみにも重みがあり、口へと持って行くとほんのり柚子の香りがして、噛み応えがあり、その冷たさが今日の気温には覿面だった。今週に入って各地で夏日になっているのだ。此処まで歩いて来て少し汗ばんでいた彼にはこの蕎麦とビールと言う選択は最良だった。

 半分程食べてやっと頭を上げ店内を見回すと、和紙で作った球の様な照明の席が奥にあった。その席には老夫婦、彼の並びのカウンター席には一人客が浩二を含め計四人になっていた。そして店内にはジャズが流れている。うどんには合わない気もするが、若い人向けの音楽やテンポの速い騒々しい曲よりは勿論ジャズの方がいい。

 実は浩二はいつかは昼間から蕎麦と日本酒をと思っていた。日本酒はビールになったがそれでも彼は満足していた。支払いを済ませ、女性店員に豊橋公園への行き方を尋ねる。そこに置いてあるリーフレットの地図を見せて教えてくれた。さっき来た道を少し戻って右へ進めば突き当たるとのこと。

 聞いた通り十分程歩くと歩道橋や路面電車の電停があり、豊橋市役所とロマネスク様式の何とも威厳のある豊橋市公会堂と豊橋公園があった。五年間生活していたが市役所には来たことがなく、この公園にも僅かに二回来た位だ。公園入口には大きな木があり紅葉真っ盛りだった。地面にも一杯に落ち葉があった。中には多くの人がいた。彼はまず公園内にある豊橋市美術博物館の方へと歩いて行った。


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