僕は銀杏<春> 作:越水 涼

 僕は銀杏<春> 作:越水 涼

 僕は銀杏。今は春。冬からは遠去かって夏に近付いて行くよ。四月に入って段々と僕の切られた枝の横や、幹から僕は葉っぱを生やし始めたよ。毎年のことだけどこれから毎日毎日増やして行って秋の黄葉まで頑張るね。世間はゴールデンウイーク。でも勿論僕はずっとこの場所から街の風景を眺めているだけ。あっという間にすぐそばの公園の桜も終わり、今はつつじが主役になった。もう少しすれば紫陽花の季節だ。春の代名詞のせっかくの桜の花見も世間では去年に続き自粛が良しとされ季節が過ぎて行った。その公園の向こうの市役所の新庁舎が完成してもうすぐ業務が始まるらしい。このあたりの人の流れも変わるかもしれないね。

 つい最近それを当て込んでか僕の立っている大通り沿いに蕎麦屋が二軒オープンしたようだ。僕の目の前の会社の人達はもう食べに行ったって。蕎麦と稲荷ずしのランチ。いいねえ。僕も興味あるよ。

 でもこの三十年、この近所の食べ物屋さんも色々変わったなあ。ビリヤードが流行っていたころはビリヤード台のある喫茶店があったし。”いちご白書”っていう喫茶店もあったな。あと、名前が思い出せないけれど公園のすぐ近くにあった喫茶店。四角い仕切りのある弁当箱に大盛のご飯と、エビフライやらハンバーグやらサラダやら煮物やら、少しずつ何品も入ってるランチ。赤だしの味噌汁とコーヒも付いていて七百円位だったかな?河井さんも美味しいって言ってた。お寿司屋さんも焼きそば屋さんもなくなってしまったし。

 この地域の風景や人の流れが変わって行くこと自体は当たり前なんだけどね。この近くを走っていた鉄道が消えたこともそうだし、世の中の仕組みや経済状況や移動手段や、何が先で何が後だったかは色々だろうけど、何かが動けばそこに増えるものがあり、減るものもあるかもしれない。メディアコスモスができ、総合庁舎は一部残っているけれど、歴史ある”今小町郵便局”の名前が消え、岐阜市役所新庁舎が動き始める。どんどん変わっていく街の風景、でもそれは人が街を移動して、何かを感じて、行動して、学び、遊び、愛し合うことが前提だと思う。

 家の中にとどまって、物が運ばれてくるのを待っているだけの生活では街は寂れていき、やがて荒れ地になって行くことだろう。そして人の歴史が終わる。そして僕らの黄葉や桜の満開の姿を誰も見てくれる人もいなくなってしまう。そんなのは嫌だな。僕はいつまでもこの場所で人の幸せを見ていたいよ。

 

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