或る古書店店主の物語 第十二章 亜紀(一) 作:越水 涼

第十二章 亜紀(一) 

 あなたにこんな手紙を書こうなんて思ってもいなかった。でも今のわたしの気持ちを知っておいてほしいから書くことにするね。あなたはわたしより二つ年下だから、わたしの中では最初から弟くんだったのね。だからなんでこんなことわからないのとか、馬鹿な子ねって思うとこから始まった。

 でも意外に会社では敬語で、二人きりだとため口で、そのギャップにわたしもなんか楽しかったのね。会社の飲み会の時はあまり喋らなかったあなたなのに、周りの人達からあなたがわたしに興味あるってことを言いふらしてるって聞いて驚いたの。なんでわたしって。わたしもあなたのこと入社した時から気になってた。あなたに会社の裏ですれ違う時「ラーメン行きませんかって」言われたのには実は内心笑ってたの。

 会社帰りの初めてのデートで近くのコンビニで待ち合わせしてラーメン食べに行ったね。あなたが見つけてくれたラーメン屋さん、あなたはちょっと苦手な魚介のだしのかなりどろどろしたやつ。わたしが好きだって言ったからそこに連れて行ってくれた。うれしかったよ。家の近くまで送ってくれた車の中で言ってくれた。「付き合ってくれますか」って。わたしはわざと間をおいて「どうしようかなあ」なんて言ったけどオッケーに決まってるよ。あれクリスマスだったから、来年はどこかにツリー見に行こうって言ったよね。

 二月の寒い日。わたしが電飾見たいって言ったから、午後から見に行ったね。周りもカップルばっかで、なんかこっちが恥ずかしくなってさ。木に飾られた青と金の電飾きれいだったな。わたしが初めてあなたの肩に頭載せたら手握ってくれた。「やっとかい!」って思ってたけどうれしかったよ。でもあの日は寒過ぎたよね。帰りは雪だったもんね。

 五月にあなたの地元の花菖蒲で有名な公園に行った。わたしはほんと気合い入れてお弁当作った。なんてったって高校生の時、デートの日に作って以来だったから。それあの時言わなかったけど。あなたは「おいしいよ。亜紀さんて、料理得意なんやね」って言ったけどまさかまさかです。公園の芝生の上で食べた後、菖蒲園回ったね。白いのや黄色いの、紫のやクリーム色のやほかにも何種類も咲いていてびっくりしたの。あなたは自慢げに”花菖蒲”と”かきつばた”と”あやめ”の見分け方を教えてくれたっけ。わたしその時期なんだか仕事ですごく疲れていて”目の保養”になった。

 雨が一日中降ってた日曜日だった。その日は車が使えないっていうので、バス停で待ち合わせしたっけ。六月の雨の日。二十分も待たせたあなたが水溜りを踏みながら走って来たのにはびっくりした。靴もびしょびしょで、二人して笑ったよね。遅れたなら謝るだけで全然気にしなかったのに。変なとこが真面目なんだから。それであなたが見付けてくれた近くの喫茶店に入ってずっと話したね。モーニングサービスだけで二時間もいる若い人なんかそうはいないと思った。その店の他のお客さんも近所のおじさん、おばさんが何組も入れ替わりで入って来たね。白いあごひげ生やしたマスターも三回位水を注ぎに来てくれたの憶えてる?その時、あなたは仕事のことで悩んでた。先輩を怒らしちゃって口も利いてもらえないって言ってた。私はまだ一年たったばっかなんだからそんなの気にしなくていいのって言ったよね。私も二年目でも覚えることばっかりだし、一つできるようになったらまた違う仕事が増えるから疲れるよねって話したと思う。でもそれはこれからに役立つことだからお互い頑張ろうと思うって言ったよね。同僚の先輩にも話聞いてもらって、そう励ましてもらったからって話した。あなたのことも相談したし。あなたとわたしとのこともね。この日は特に真面目な仕事の話が多かったね。でもそれも大事なことだったし。

 夏にもプールや海水浴じゃなくてわたしのリクエストの”美夜景”を探しに行ったね。母に嘘をついて初めての泊まりの旅行だった。正確には車中泊だったけど。わたしが見たいって言った琵琶湖の夜景にあなたが考えてくれたデートコース。大津湖畔なぎさ公園の長い遊歩道を歩きながらずっと二人話してた。日が沈んでしばらくは朱色だった空が藍色に変わっていった。すごくきれいだった。それと停泊する遊覧船のライトアップも。大津港の大噴水は圧巻だったね。そして初めてのキス、うれしかった。あなたにはほんとたくさんの夜景を見せてもらった。

 遅咲きのコスモス畑の向こうに続くメタセコイア並木にも行った。葉が落ちる前の紅葉の並木。太い幹に二人かくれんぼしながら歩いたね。季節によって変わるメタセコイア。ほかの季節にも行きたかったな。

 二回目のクリスマス。私はあなたを驚かせようとマフラーをプレゼントした。手編みのマフラーなんてこれも高校生の時に彼氏にあげて以来だったの。ほんと私にとっては編み物はもう大変だった。実は半分以上妹に手伝ってもらったんだよ。でも付き合い始めて初めてだったな。あんな満面の笑みを見せてくれたのは。うれしかった。そして初めての…。

 年が明けて初詣に行った。あなたはでもなんだか変だった。うつむきがちで私の目を見てくれなかった。楽しそうにホットドックやたこ焼きを食べてるカップルの合間をぬってわたしたちは神社の近くの洋食屋に入った。わたしはオムライス、あなたはハンバーグ定食を頼んだのね。オムライスおいしかったけど、わたしのを一口ちょうだいってその時は言わなかった。それまでは必ず一口ちょうだいって言ったのに。その日は店を出てすぐ帰ることになった。せっかくの初詣だったのに悲しかった。

 あなたから会って話したいって言われた時「お別れの話なら今して」って言ったわたしも自分の口から出た言葉に驚いた。あの日の電話で、あなたはわたしの「女は待てないの。時間がないの」っていう言葉がやっぱり理解できなかった。わたしがあなたを好きでわたしがしてほしいことをしてほしかっただけなのに。あなたはまだ僕たちは若いからって言った。好きな気持ちと好きな二人だったらそれでいいじゃないって言ったわたしにあなたは無言だった。

 この一週間でやっと落ち着いたから手紙を書きました。でも今までのことを思い出すうちに涙が止まらなくなって。こんなに涙が出るなんてびっくりです。別れても好き。むかしどこかで聞いた歌に「夜明けの雨はミルク色」ってあったと思うんだけど、今わたしの部屋の窓を開けたらほんとにそうだったの。一晩明かした朝。あの日あなたと見た夜明けの空と同じブドウ色の空だった。今のわたしには肩を抱いてくれる人はいないけど。でもこのままじゃだめだからあなたを好きになった気持ちの何倍も好きになれる人を見つけようと思ってる。あなたが後悔するくらいに。さようなら。      

                               亜紀                                                    

 この手紙とは別に、私の店へ来て話を聞いてもらいたいという手紙が入っていた。つまり、この子は別れた彼に出す手紙を間違えて同封したのだ。私への手紙には夏にでも訪ねたいとある。



  

                                  

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