或る古書店店主の物語 第十三章 亜紀(二) 作:越水 涼

第十三章 亜紀(二)

 やばい、寝坊した。一時間目の講義は九時からなのにあと十分しかない。出席をちゃんと取るからその場にいないとどうしようもない。図書館まで来た。二号館まであと五十メートルだ。教室は三階にある。二段飛びで駆け上がればギリギリセーフか。
「キーンコーンカンコーン。キンコーンカーンコーン」と鐘がなった。私は目の前の304教室に飛び込んだ。まさに飛び込んだ。
 だがそこは…。水の張られていないプールだった。
「わーっ」私は、聞いたこともない大きな声で叫んだ。と同時に、その自分の声で飛び起きた。夢だったのだ。びっしょり汗をかいている。暑い。そして体も熱い。台所へ行って蛇口をひねり、水をかぶった。
 この地方は夏でも平均気温26度と書いてあったのに、やはり暑い日は暑いのだ。もちろん私の故郷のように「全国一の38度でした」なんて全国ニュースで取り上げられるほどの高温にはならないのだろうが。

 私が定年の日に家へ帰らずこの島に来て、はや五か月が過ぎた。いまだに妻から私の携帯に連絡はない。ちょっと待ってみようと思ったとしても、帰宅しないあくる日には何か言ってくると思ったのに。どういうことだろう?そんなにどうでもいい夫だったのか、と思う日々だった。だが、一方でここに来てからワクワクするような色んなことがあった。古書店店主になったことはもちろん、毎日ふっと現れるお客さんと話すことがこんなにも楽しいとは思ってもみなかったのだ。
 さて、この前の手紙の女の子はいつ現れるのだろう。「夏にでも訪ねたい」と書かれていたが。早く直接会って話してみたいのだが。彼女はユーミンのことが好きらしいし、私が会社で同僚の女の子に恋愛相談された頃のよう相談に乗ってやりたいと思って、最近はそのことばかり考えている。
 

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