夢の中の彼 作:越水 涼

 夢の中の彼 作:越水 涼

 夢を見ている。夢を見たのは彼であって実は私ではない。私は遠くで、夢を見ている彼を見ている。西の空に大きな沈みゆく太陽が雲の陰に見え隠れする。同時にかつて接点のあった人々が夢に登場する。

 今朝、彼は中学二年の時の担任の先生と会った。髭を生やした体育の先生。背は多分百七十センチもないと思うが、胸板が厚くて太く大きな声の、人間として基本的なこと、例えば挨拶や姿勢に厳しかった先生だった記憶がある。担任が英語や数学の先生でなかったから、彼は勉強したのかもしれない。後にも先にもこの中学二年から三年の間が結果、彼の人生で一番勉強をした時代だった。二百人程いた学年で中間テストや期末テストでは五科目合計点で三位が最高だったし、地元の新聞社が主催していた模擬試験でも社会で百点を取り名前が載ったりした。そして視力が落ちて行ったのもこの頃からだった。

 またある時彼は、大学の寮の夢を見る。そこに暮らしたのはもう三十七年も前のことなのにあの古びた木造の棟の生活の場の光景。同じ年代の若者が自らの手で規則を作り、掃除をし、青春の同じ時代の空気を吸って、時に笑い、時に泣き、時に怒った。彼が田舎から送られて来た食料を部屋の先輩にお裾分けしようとした時、「ほんなら煙草吸ったら貰ったるわ」と言われて、初めての煙草にむせた。卓球台があって一時期は皆でいい汗を流したりもした。プロパンガスのシャワーがあって、温度調整が何か変で急に水になったと思ったら熱湯になったりして参ったこと、他大学の寮生と一緒に社会のことや恋愛のことを”徹夜討論”したこともあった。そんな仲間達が何故か、彼にとって仕事が大変な四月や十二月になるとよく夢に出て来るのだ。もう二、三人を除いて音信もないというのに。

 そして、最近はないのだが、初恋の彼女も夢に出て来る。小学校から高校まで同じだった。今でいう広瀬すずのような感じでの子。クラスは小学校、中学校、高校で一回ずつ位だろうか同じだった。小学校の写生大会で神社にあった桜を描いた。その時喋った気がする。「浩二君、絵上手やね」その彼女がその頃好きだったのは運動会ではいつもトップで走る奴だった。中学では彼と彼女は同じ美術部だったのに、でも大人しく口下手な彼は特に何の行動も起こさなかった。その頃ませていた彼女が好きだったのは、色黒の背が高くて絵も上手い別の奴だったのだ。高校三年の卒業文集に何か書く時、ただ「走る」と書いた彼はその場にいた彼女と何か喋ったはずだ。けれど、相変わらず消極的な彼は何の冗談も、感心されるようなことも言えずに部屋から出て行った。

 彼は大学一年の時、教養科目で「心理学」を履修していた。教授が「自分史」を書くのが自らを見つめるのにいいのだと言うので、彼は初恋の彼女に手紙を出したことがあった。「僕はどう見えてたか?」と。彼女からは教授がお爺さんばかりで面白くないとか、大学生活のことや、自分の初恋は○○君だったというようなことを便せん三枚にびっしり書いてくれた。彼については「この前行った高校のクラス会の柳ヶ瀬のディスコで河井君、何か大人になってて、楽しそうだったよ」と。そして高校までの彼のことは「笑う時は笑っていたよ」とか「真面目だったよね」ということと、「彼女はできたの?私は今ちょっと危機なのネ」というようなことを書いていた。

 その彼女が何度も夢に出て来ることがあった。何を話しているのか、遠くで見ている私には分からないのだが中学生の彼と彼女、高校生の彼と彼女は、何か夢の中で話している。私はある日曜日、もう今から十年以上も前だが老人を中心に地元民が利用するスーパーに行った時、彼女に会ったのだ。正確には店に入って行く彼女、買い物をする彼女を離れて見ていただけなのだが。私には相変わらず勇気がなく、「えっ、久しぶりやねえ。高校のクラス会でディスコで会って以来か?あっ、そうそう、手紙の返事もくれたよね」とでも話せばいいものを、できないのだ。はたまた、近隣にある大きなショッピングモールでも、娘さんだろうか一緒に買い物をしている所に遭遇したこともある。その時も私は話せなかった。勿論私もだが、彼女も年相応に髪の毛は白髪になっていて、今更、何を話すのかという気が先に来てしまうのだ。偶然見た、県内の教職員の名簿があって、それで索引で名前を見てみると彼女の名前があった。自分の思い描いた通り中学校の数学の先生になっていたのだ。そして三十数年それを続けて、今も教育現場で担任を持っている。これも偶然見たPTA会報で先生の紹介の欄で知った。今度こそ、会った時には勇気を出して話したいと思っている。

 天気のいい日の朝はもう四時半には明るくなって、東のカーテンの向こうから黄色い朝陽が私の顔に射して、私を夢の中から呼び戻す。あの時代の彼や彼女に、今の私が何か言ってやれるとしたら、やはりそれは夢の中でしかできないことなのだろうか。

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