或る古書店店主の物語 第十七章 亜紀(六) 作:越水 涼

 第十七章 亜紀(六)

 共同で使っている軽トラックに亜紀を乗せた。山を下り、海岸線沿いの道を走って行く。助手席側に海があり亜紀はずっとその海の美しさに歓喜していた。

「何てきれい!私こんな海初めて見ました。窓開けていいですか?」

「うん、いいよ」

 手動でしか開かない窓を開けると亜紀は言った。

「やっぱり。海の香り、いいですよお」

「そうだね。何ていうか、ごめん、いい表現ができないけど」

「言葉では言えないですよね。いい香り」

 三十分程で駐車場に着いた。私はこの島でも若者達に特に人気のある、”エンジェルロード”へ彼女を連れて来た。一日に二回現れる砂の道をタイミングよく私達は少しだけ歩いた。もちろん周りは若いカップルばかりだった。みんなきれいな海と砂の道と自分たちの幸せ感に酔いしれているかのようだ。

「亜紀さん、砂の上を歩くのは今度恋人と来るとして、今日は上から見てみないか?」私は提案した。

「ええ、そうですね。上から見下ろしたほうが三百六十度見えますよね」

 亜紀の少し残念そうな表情に気付いたが、私は”天使の散歩道”と刻まれた石の標識とは反対の方へ歩き出した。少し歩くと展望台を案内する看板があった。私達は一息ついてから急な階段を登り始めた。この真夏の快晴の日にこの急な階段は辛い。

「亜紀さん、ごめんね。こんなに急だなんて知らなかったから。大丈夫かい?」私は自分が辛いのを誤魔化しながら笑った。

「ええ、全然平気ですよ。実は高校のテニス部の同期とこの前も富士山に登ったんですよ。これくらい何でもないです」

「へえ、そうなんだ。すごいなあ」

 亜紀のその涼しげな顔は私の尻を叩いた。そして私は気を入れ直して再び歩き始めた。勢いよく登って行くと意外にも十分程で頂上に着いた。

 そこには”幸せの鐘”があった。

「わあ、着きましたね!」

 頂上手前で私を抜かした亜紀は勝ち誇るように私に顔を向け大きくバンザイをした。天使のような笑顔に私は動けなかった。いや、実は笑顔のためではなく久々の登山のせいだった。膝が震えていたのだ。

 

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