ノースリーブの女 作:越水 涼

 ノースリーブの女 作:越水 涼

 今日、かつて私の同僚だったHが急に会社に現れた。それも赤ん坊を連れて。正確には連れてと言うと赤ん坊が歩いて来たかのようにも聞こえるから、抱っこして来たと言う方が正確かもしれない。びっくりした。居合わせた同僚達も驚いていた。彼女が母親であるという事実とが結びつかないのだった。朝十時、朝の喧騒が一段落した頃だ。店頭に白のノースリーブで女性としては長身の茶色のショートカットの綺麗な女性が、可愛らしいやっと首が座った位の赤ん坊を抱っこして現れたのだった。二度見した私の目に映った女はどう見てもHだ。

「お早うございます。河井さん。元気でした?」

「ええー?Hなの?Hの子?びっくりしたあー」

 Hとの出会いは今から七年前。同僚が次々と辞めていき中途で入ったのがHだった。その頃私の課は女性社員の入れ替わり時で、ある意味危機的な時期だった。引継ぎのために毎日毎日、先輩社員から色々と教え込まれた。大変だったと思う。泣いているのを見たこともある。Hとは同業者とのソフトボール大会の送り迎えをしてから打ち解けたのだ。

 河井さん、昨日の晩御飯なに食べました?と問われて、うーんなんだったっけ?と大抵の場合思い出せない私に、ダメじゃないですか、参考にしようと思ったのに。と彼女は笑った。ある時期から一人暮らしを始めたのだった。今思えばその頃から彼氏に料理を作るようになっていたのかもしれない。

 時々、会社や他の課への愚痴を言い合ったり、お互いの家族のことや趣味のことを同僚が帰ってからよく話した。何かいいことないですかねえと聞く彼女に、私は大抵、人間生きてさえすればいいことあるよとか、何でも縁とタイミングだよと言った。実際私は妻と出会ったのは会社だし、それはそういう運命だったのだと思っている。そして、Hやその後入社したMも含めそのメンバーだった四年間が私が思うに課のベストメンバーだったと思っている。

「河井さん。ちょっといいですか?」

「うん。何?」

「実は…。私、この前の日曜日にプロポーズされました」

「えっ、そうなの。おめでとう」

「ありがとうございますう」

「びっくりしたなあ。他の人には言ったの?」

「いえ、まず河井さんに報告しておこうと思って」

 誰よりも先にお世話になっている河井さんに言いたかったとHは言った。あの時まだ親にもプロポーズされたことは言っていなかった。それから二日後に、父をご飯に誘ったんです。今日言おうと思って。と話してくれたのだった。

 あれから三年くらい経つのか。あの頃は毎日彼女達に会えるから会社に行こうと思えるメンバーだった。今思えばあの子がいた数年が一番楽しかったのかもしれない。

「私の子、可愛いでしょ?」

「うん。Hに似て可愛いよ」

「会社にいる時、河井さんそんなこと言ってくれました?」

 笑いながら彼女は私に赤ん坊を抱っこさせてくれる。私の腕にはノースリーブの女の腕が触れた。


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