或る古書店店主の物語 第二十章 加奈(二) 作:越水 涼

 第二十章 加奈(二)

 今日の訪問者は加奈だった。コーヒーを飲んで一息ついているとノックの音。入って来たのは普通に表現すれば、小さな中年の女性とでも言おうか。おばさんとは言えない品のいい感じの女性だ。加奈は私が会社勤めをしていたまだ三十歳を少し超えたばかりの頃の同僚だった。ただ、結果二年も経たずに退社したのだが。身長が百五十センチもないが、髪が長くまつ毛の長い、吸い込まれる程大きな目の子だった。

 私の課は総務、経理、人事、労務、広報といった営業以外の全ての業務を担っていた。内側には社長を始めとする役員と従業員、外側には株主、銀行、得意先、仕入・外注先、役所、近隣の住民等がいる。毎日の業務と時季の業務とが複雑で多種多様にあった。そんな課だからせっかく入って来てもなかなか定着してくれないことが多かったのだ。彼女も、私が係長になった四月に入社して翌年の四月に別の課に異動した後、十二月で退社したのだった。そして今日、彼女を目の前にして私は困った。

「こんにちは」彼女は微笑んでいる。

「いや、どこかで会ってますか?」私はじっとその顔を見つめるが、その顔を思い出せない。

「私、ずっと昔、会社でお世話になった、加奈です」

「加奈さん?うーん、ちょっと待って下さいね…」

 私はもう一度頭を叩きながら思い出そうとした。一分程考えてやっと思い出した。あの頃と変わっていない色白で、黒子の多い、そう加奈だ。私は急に表情を変えて笑った。それを見て彼女は言った。

「ああ、やっと思い出しました?お久し振りです」

「ほんとだね。それこそ僕が三十歳頃だったと思うから。三十年振りかな?」

「ええそうですよ。お元気そうでよかったです」

「まあそうだけど。君は、でも何でここに?」

「河井さんのお店のホームページを偶然見つけたんです。私も最初写真を見てもすぐにはわからなかったですよ。でもだんだん繋がって来て」

「そうなのか。ありがとう。それで今はどうしてるの?」

 ここまで話してから、立ち話をしていたのに気付いた私はやっと、店の奥へ加奈を案内したのだった。

コメント

人気の投稿