続・ほろ酔い加減でひとり旅(一) 作:越水 涼

 続・ほろ酔い加減でひとり旅(一) 作:越水 涼

 柳橋市場の一角にある昭和食堂で一人、一番隅っこの「2番」の囲いの席にいると、ぼんやりできた。昭和に流行った”歌謡曲”が店内に流れている。晩秋の昼下がり、私は瓶ビールを飲んでいた。一人旅の途上だ。

 鈴木珈琲店で待ち合わせていた。カウベルの音に目をやると、彼が入って来た。私は一杯目のコーヒーを飲み終えた時だった。

「お待たせしました」

「おお、久し振り。元気やったか?」

「まあ、何とか」

「会うのは十年振りくらいか?」

「ですかね」

 久し振りに会った。色々悩みを抱えていた時には彼とは会えずじまいだった。

「ここだけは変わってないよね。この剥げたカウンターなんかさ」

 黒く塗装があったところは、肘なんかがこすれて長い年月の間に剥げて木の地肌が見ているのだ。それもまた「味」があった。

「じゃあ僕は今日は、モカで」彼は目の前の女性店員に言った。

「僕はキリマンジャロお願いします」私はお代わりを言う。

 私達は静かに流れるピアノの音色を聴き乍ら、ドリップされるコーヒーを見つめた。何とも言えない香りが漂い、僅か後に二人のコーヒーが置かれた。そして二人同時にそれを啜った。

「うん、この味だった」

「うん。うん」

「本当に覚えてるかは怪しいけどね」

「いや、この味ですよ」

「分かるの?本当かなあ。実は三年前に来たんだわ。その時もこんな味だったかなあって思ったよ」

「そうだったんですか?僕は大学以来だから三十年以上振りですけど、この味覚えてますよ」

「本当かなあ」

「本当ですよ。この照明と音と香りはこんな感じだったですよね」

 隣の席に座った、赤いマニキュアを塗った小さな指の女性客がブレンドを注文している。

「この街は全然変わっちゃったよね」

「ええ」

「西武もないし、ダイエーもないし」

「映画館も駅前から郊外へ行っちゃったみたいですしね」

「そう、そう。このときわアーケードの中でも、スマートボール屋もなくなったし」

「精文館書店と鈴木珈琲店くらいですかね。僕達の思い出の場所で、あるのは」

 私をここへ連れて来てくれたのが彼だった。何度も来ていた彼は私と来た時に、お代わりをしたのだった。今は五百六十円のキリマンジャロだが当時は恐らく三百五十円位だったと思う。それを大抵の場合お代わりするのだと言っていた。

「このカップが棚にいっぱい並んでるのもあの頃と同じだね。さっき一人の時、数えてたら二百以上はあったよ」

「そうそう。フルーツやら花やら、お城や人物がカップに描かれてて。色々あるの変わらないですよね」

 私は色んな問題を抱えていた十年前に彼と会って話しをしたかった。その時はどうしても都合がつかず会えずじまいだったのだ。

「最後に一緒に飲んだのっていつだっけ?岐阜に来てくれて」私はやっと本題を話し始めた。

 相変わらず、私達の背の側のテーブル席の客のお喋りのボリュームは高い。


 

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