或る古書店店主の物語 第四十章 恵子(三) 作:越水 涼
第四十章 恵子(三) 作:越水 涼
私は当然にもその声の主を見たくなって、ドアを開けた。
「河井さん、おはようございます」と真由さんがいつもと変わらない微笑みを浮かべ言った。
「おはよう」私は真由さんでなく、たまたまもう一人の女性に顔を向けて言った。
「おはよう、河井君!」するとその声の主は馴れ馴れしく言い放った。
「ん?」私はその真っ白な顔で、ショートカットの化粧けが殆どないながらも鼻筋の通った、まっすぐ私を見つめるその女性を見つめた。しばらく考えていた私は目の前のこの女性が、さっきまで頭にあった恵子であることをやっと認識した。こんな風に会うのはあのディスコ以来だ。実はもっと正確に言うなら、十年ほど前にも何度か見かけてはいる。家の近所のスーパーTや大型ショッピングモールのユニクロなどで偶然にだ。彼女は一人の時もあれば、娘さんらしき女性といる時もあった。何度も話しかけようと思ってはみたが、やはり私には実行に移せる勇気はなく今に至っている…。
「何よ、河井君。私の顔に何か付いてる?」
「いや、そうじゃなくて。何でここにいるの?」
「何でって、来たいから来たのよ」
「そうじゃなくて、わざわざ来てくれたの?というか、もうこんな風に話すの柳ケ瀬のディスコ以来だと思うんだけど、何でここに来たの?」
「だから、来たいからって言ったでしょ」
私は間をおいて冷静になろうと努めた。
「恵子ちゃん、いや、恵子って呼ぶね」
「うん、いいよ」
「恵子と俺はさ、ほんと数えるくらいしか喋ったことないよね?それがどうやって知ったか知らないけど俺に会いに来るなんて普通ありえないよね?」
「そうかなあ?別に私がふと河井君のことが頭に浮かんで、会いたいと思って来たの。何か文句ある?」
私が初めて恵子に会った小学校低学年の頃から、ませてはいた。何でも積極的にやる人間だったと思う。正義感も強くて、相手が男でも言いたいことを言うような。
「会いに来てくれたのは、うれしいさ。でも驚いたなあ。実はさ、さっき君のことをなぜだか思い出してたんだよ」
「へえ、そうなの?」
「うん。だからさ。その直後に現実に目の前にいるんだから、そりゃ驚くよ」
「じゃあ、私は失礼しますね」
真由さんがそこにいるのを私達は忘れていた。
「ああ、ごめん、ごめん。また」
「ありがとうございました」恵子も頭を下げた。
「中で話そうか」
「うん」
初恋の相手と何十年かの時を経て二人きりで話をすることになった。
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