あれから十年 作:越水 涼

 あれから十年 作:越水 涼

 今日は父の命日だ。十年前の今日、父は去った。今日と同じで暑い日だった。正確な時間は覚えていないが、妻からの電話だった。突然の死。その頃父は数種類もの錠剤を飲んでいた。暑い日々の中でエアコンも控えていた。そして熱中症。体力がなくなっていた。体重が減っていた。私の出勤のその朝にも奥の部屋で気配があった筈だった…。そう思いたかっただけかもしれないのだが。

 否、十年前の私はおかしくなっていた。今となっては言い訳になってしまうけれど、まだ少しそれを引きずっていた頃だった。家族のことも考えられる余裕がなかった。十年前の五月にはそれまでの三年前からの会社での重圧や課内の軋みと家庭内でのいざこざでもう何も考えたくないと頭がなっていた。頭の中のどこかが考えるなと指令を出していた。逃げろと、ドアを閉めろと言っていたのだ。会社へ行っても俯いて何をすることもできない。帰宅後酒を飲む気も起らない。好きな音楽も聴かない。ドラマも観ない。本も読まない。横になっても寝られない。心療内科で処方された睡眠薬を飲んでも浅い眠りのまま朝を迎える日々が続いた。その季節は朝を早く明るくしていた。

 だが、今思い返せばそんな日々はたかが二か月位のことだった。六月の終わりには眠れるようになったと思う。仕事は取られ、給料は下げられ、役職ははく奪されたが、気分的にはかなり楽になったからだ。父が亡くなったのはそんな日々の中だった。この前の日曜には一緒に買い出しに行ったのに。ショックだった。母が倒れて一年半近く。四十年前には父のそばには祖父も祖母もいた。母も私も妹もいた。この四十年の間に、祖父が亡くなり、妹が嫁に行き、祖母が亡くなり、そして母が倒れた。一人が辛かったのか。寂しかったのか。加齢だけじゃなく、精神的に色んなことのせいで薬に頼ることになって、食欲もなくなり、体力もなくなり、気も弱くなりという悪循環だったのだ。

 私はこの十年間後悔して来た。何かもっとできることがあった筈なのに、もっと気にかけてやれなかったのだろうか、と今も考えている。葬儀の後からこの十年ほぼ欠かさず、朝お仏飯を供え、父の遺影を見るようにして来た。罪滅ぼしになっているだろうか。十年は早かったと思う。せめて私は私自身の状態が落ち着いて来た時からでももっと気にかけてやれば何か違っていたかもしれないと思う。後悔ばかりだ。もっと薬のことや介護の方法を真剣に勉強して、周りの者の、親戚の協力も仰いで気にかけてやればよかったのにと思う。確かに世の中には二種類の人がいる。一人暮らしでも元気に明るく生活している人と一人では生きていけない人だ。私の父は後者だったのだ。しかし、そんなことはずっと前から私は気付いていた筈だ。すまない。

 十年前中学生だった娘達は今では社会人だ。彼女達にはそれ程の記憶はないかもしれないが小さい頃世話をしてもらったのは事実だ。

「お父さん、あんな小さかった貴方の孫達は四人とも元気に働いているよ。自分で稼いでるんだよ。きっと天国から見守ってくれているからだよな?ありがとう」

 せめて私はこれから、今いる家族のことをしっかり守って行こうと思う。


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