喪失からの出発(二) 作:越水 涼

 喪失からの出発(二) 作:越水 涼

 仕事がない日はかつての母の部屋の整理をしている。もう一か月以上になる。私は母との邂逅を期待して、ゆっくり進めたいのに妻は次から次へと片付けていく。ここに母が鞄にまとめて保管していてそれっきりになったのだろう、手紙の束がある。当時私が出した手紙と、母が私に出した手紙共が見つかった。そこからひとつ抜き出して読むのが今の私の母との小さな”接点”なのだった。

 例えばひとつ。昭和五十七年五月十二日六十円切手の消印の黄ばんだ封筒から私への手紙を出した。

 大変暑くなりました。家の中でも一度に夏になりました。十日母の日のお便り、本当にありがとう。気持ちだけでうれし涙が流れました。来年も買ってくれなくてもよろしいです。四年卒業後いい所に就職して自分に給料を貰うようになって気持ちがあったら有りがたく貰います。それ迄は遊びに夢中にならぬよう授業はしっかりやりまじめに四年間体に気をつけて痩せるようなことのないよう、寝不足はしないよう早く休むことです。夏に向かいます。今度来る時には五十五キロより痩せぬよう昼夜食事は栄養のある物を食べること、父さんも言いました。牛乳も飲むことです。「カネ」は日福のが四月初めに返ったので全部キャッシュカードの中に入れるつもりです。十五日頃少し遅れるかもしれないけど早くスタンド買うといいです。腹が減っては勉強もやれないから何かふくれる物を買ってきといて食べること。寝る前には食べないように。字がへたです。がまんして読んで下さい。                     

 夏に向かうので仕立ても忙しくなりました。タオルケット、半そでパジャマ、冷しラーメンほか送ろうと思っています。宅急便か郵便かどちらかです。ほしい物があれば送ります。ハガキ下さい。頭は暑くなると汗をかくので床屋に行ってきれいにすることです。安くやってくれるのだからパーマはかけないでよ。一か月に一度位行くことです。キャッシュカードはきちんとして人目のつかぬ所にしまうこと。色々とへたな字で書きましたがくれぐれも体に気を付けて寝冷えせぬようにして下さい。暑くなったらふとんも薄い方だけ着て休みなさい。豊橋はまだそんなに暑くないらしいです。天気図を見ていると。こちらは毛布なしで上下ふとん一枚ずつです。そのうちにタオルケットは送ります。ねまきは厚くなったら夏のにするとよいです。父さんが奨学金はどうなったかと聞いていました。今日は晴天で少し風あり暑いです。朝晩は涼しいです。涼へ 母より。

 そして、この便箋の裏側に書かれている。「使ってください。五月一か月で食費とほか入用だいたいいくら位かな。四月は本や色々と要ったけど。くれぐれも腹はふくらかすこと。夏は体がつかれるし、よわるからね」おそらくは、一万円札か同封してくれたのだろう。

 大学生になって一か月。ただただ体のことを気にかけてくれている。もう十八歳とはいえ初めて別々に暮らす子どもを心配するのも当たり前だろう。学生の本分を忘れないように釘を刺しながらも、食べるさせることが親の第一のつとめだと思って色々送ってくれていたのだ。家計に余裕などないはずなのに。こんな時期があったことをもう何十年と思い返すこともなかった。何て駄目な息子だろうか。いまはせめて遺影にありがとうと言おう。

 



 

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