エッセイ//私の道草日記 其の5 越水 涼

2020.8.11

 今日、明日は仕事です。昨日までの連休中に妻に急かされ靴箱の整理をしました。狭い靴箱です。今後履かないであろう靴は処分していかないと入れるスペースがありません。私一人の靴箱ではないのですから。

 私の靴は通勤用が五足、休日用が二足あります。通勤用のうち問題なく履けるのは二足。あとの三足を修理しました。私が買う靴はせいぜい五千円くらいのもの。一番最近買ったのは二千円くらいでした。一年くらい履ければいいと思って安いものばかり買っています。そのせいか、半年くらいで左か右のどちらかのつま先の本体と底との間が剥がれてくるのです。底以外は傷もほとんどなく、靴底もすり減っていなくとも、剥がれてきてその範囲が広がってこればこれはもう歩きにくいったらないのです。もちろんこんな経験をお持ちの方はいらっしゃることと思います。

 以前、このままほかるのは勿体ないのでと、スーパーの中にある靴の修理屋さんに出したことがあります。確か、両方で千五百円だったと思うのですが、修理後履き始めたら、二ヶ月後にはまた剥がれてしまいました。そして、一昨日、妻に、接着剤あるからそれで貼ってみたらと言われ、靴Aの左足、靴Bの右足、まだほんの少し浮き始めた靴Cの左足に、液体ではなく多少ゴム状になった接着剤を塗りたくり圧着しておいたのでした。そして今日履いて来たのが久しぶりに履く靴Aです。黄色い接着剤がつま先にほんの少しはみ出ていますが、靴としては問題なく私を歩かせてくれました。こんなにちゃんとくっついてくれるのならもっと早くやればよかったですね。

 この修理ということ。靴について言えば自分で初めてやりましたが、人間若いうちは多くの場合修理とは無縁かもしれません。しかし、ある程度の歳になれば、虫歯しかり、色んな内臓の病気しかり、緑内障しかり色々と修理して生きています。修理やそれに近いごまかしで何とか生きて行ける。寿命までは生きて行けるのです。ずっと置き去りにしていた亡くなった父の腕時計、結婚前ペアで買った銀枠の腕時計も修理に出せば動いてくれるでしょうか。

 何を今更と笑われるかもしれませんが、今回の靴の修理をきっかけに気付いたのです。修理することで”整理”=”処分”せずに済みました。すぐ新しい物を買うのではなく、直したり、調整すればまだ使えるかもしれないと考えるようにしたいと思いました。自分も時々は体のことを考え病院に行くなり、睡眠をちゃんととるなり、酒を控えるなり、気を遣い過ぎないようにというようなことに気を付けて、あと二十年父よりは長生きしたいなあと思っています。勿論、ちゃんと食べることができて、このブログも続けている状態でですよ。

 でも靴って家の外に出る時は必ず要る物、財布はなくてもいいですが、腕時計やケータイもなくてもいいですが、靴は絶対要りますね。今、気付きました。





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