喪失からの出発 作:越水 涼

 喪失からの出発 作:越水 涼

 最初からそうおもっていた。この年になってからたべられなくなるということは、そういうことだ。別れがちかいとわかってはいた。ただ、かすかにまたいつもみたいに、食べられるようになるかもともおもっていたのだ。

 この十四年、入院もした。高熱も出した。呼吸器もつけた。倒れた時小学生だった孫たちは教える側になっている。課長だったわたしもいまは時給千円ちょっとの契約社員だ。そんな長い年月、母は確かにいきてきた。

 まだ一週間も経てていないのに、意識の中に母のことが少なくなっている自分に嫌悪感を感じている。入院している時は仕事の最中にも母のことばかり考えていたのに。妻が今日も、倒れる前まで母が寝起きしていた部屋の整理をしてくれている。

「お母さん、今までの全てに感謝します ありがとう。5月9日 母の日 何か、買って送ろうと思ったのですが、”母の日”に気づいたのは5月6日、カネはあったのですがいいものがみつかりません。来年は必ず送ります。お楽しみに」母の古い家計簿に挟んであった40円の時代の40年以上も前の葉書。そんな葉書を出していたんだ。

 私はこのあと何か母にしてやれただろうか?いまとなっては後悔ばかりだ。もっと感謝の言葉をかけてやればよかった。旅行にも連れて行ってやればよかった。

 いまの私は空の上から見守っている母に、せめてうなづいてもらえる生活をしていくしかないのだ。


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