エッセイ//私の道草日記 其の13 越水 涼

 2021.1.9

 今週は仕事始めでした。長い休みの後は大抵の方は何かバタバタしていつものリズムが取り戻せないと思います。私もそうでした。例えば、20日締めの請求書の支払いが翌月10日だと月末月初に長い休日が挟まっている今回などその準備は大変です。コロナ下での様々な余計な仕事があったり、1月ですと種々の法定調書の提出があったり。業種や職種によっても違いますが現在はそれこそ全世界の全ての人々に大きな試練が課されています。何とか躰も心もいい意味で”鈍感”になるべき時だと思います。

 勿論、私自身は目の前の患者さんの対応をされている医療関係者の方々や一日中人と接しなければならない仕事の方などに比べれば今回の感染症に感染する可能性は低いのかもしれないのですが、やはり心配です。世界で起きる様々な問題は中にはその国だけで解決できることもあるかもしれません。しかし今のこの状況に対して、全世界の指導者達がこの問題に限っては協力して対処できないものかと思うのです。現場で日々新薬やワクチンの研究・製造に関わっている方達には勿論お願いします、頑張って下さいとしか言えません。ただ、素人目にはこのウイルスによる世界規模の問題に指導者達が真剣に対処しているようには思えないのです。正に現在、この1・2ヶ月の対処に必要なお金や人を来年でもいいような予算から回す勇気ということが世界中の指導者に求められているのではないでしょうか?

 一昨日、税務署への提出書類があり会社からほぼ真っすぐの歩道を歩いて行ったのですが、その道中に喫茶店があったのに閉店していました。道に面しての地下一階にあるその喫茶店には今まで5回位は入ったことがありました。コーヒー付きで700円のランチ、週刊誌も置いてあるので寄ったことがありました。コロナ下で閉店したのでしょうか?残念です。移動制限や営業自粛を役所が求めるのならそれによって困るすべての関係者=国民全員にせめてコロナ下前の生活ができるだけの金銭的補償をしてほしいのです。店舗=経営者=働く人=お店に納める業者=生産者=家族と考えるならば、例えば時短営業の協力金というよりも生活の保障としての金銭を毎月10万円程度全国民に支給するべきとも思ったりします。全ての経済活動が全国民に繋がっているのだということをなぜ分からないのでしょう?

 さて、先日九十歳の女性が現役総務部社員ということでギネス記録登録されました。素晴らしいと思いました。何にでも興味を持ち、積極的に挑戦してみることを続けてきたこと、私も見習いたいと思いました。

 一週間の休日明け、会社の観葉植物の葉っぱが垂れ下がっていました。長い休日に入る前日にたっぷり水をやっていたのですがやはり一週間は長い。それは水芭蕉に似た”スパティフィラム”という植物でもう何年も前に戴いたものです。毎日水をやっているだけですが時期になると三つか四つ白い花を咲かせます。今週水をやっていた甲斐あって金曜日には通常通りの張りのある葉っぱに戻りました。

 今、世界中の状況は大変としか言いようがありません。しかし、私は地道に一人ひとりがそれぞれの持ち場で、悲観的にならず、僅かでも希望を持ち続け、前向きにやれることをしっかりやっていくしかないのだと思っています。もしかしたら今の状況が何年も続くのかもしれない。やはり医学的にウイルスに勝利しない限りは、制限された生活は続くのでしょう。私はその中でも僅かばかりの楽しみや意地を持って生きて行きたいと思っています。


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