ほろ酔い加減でひとり旅(三) 作:越水 涼

 ほろ酔い加減でひとり旅(三) 作:越水 涼

 空の感じが怪しくなってきた。黒い雲がせわしなく動いている。そうあくまでも今日は梅雨の合間なのだ。堤防の道路を渡って六華苑に向かう。四百六十円を払い入って行く。石畳の道を歩いて行くと、目の前に私が今まで見たこともない圧倒されるような佇まいの、西欧の貴族の豪邸のような洋館が見えて来た。パンフレットによれば一九一三年竣工のこの建物は当時の姿をほぼそのままに遺している。かの鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルが手掛けた地方には唯一残る作品だという。映画やドラマでも度々ロケに使われている。

 私は結果的に一時間ほどかけてこの洋館と接続する和館そして庭園を回った。日常の生活では出合うことのないこのような建造物や庭園はとても新鮮で輝かしい物として心を惹かれた。洋館の二階の張りだした窓から見える広大な庭園。天気がもっと良ければよかっただろうが。それとクラッシック音楽でも流れているとしっくりする暖炉とシャンデリアの部屋があるかと思えば接続して畳の大広間が三つも四つも並んでいて横には縁側が続いている。素人ながら、私は余りにも独創的だと感心したのだった。次に私は外へ出ると庭園を回った。芝生が広がりその周りに様々な木々と池があった。季節によって色んな顔を見せてくれるのだろうと想像した。桜の季節、つつじの季節、花菖蒲の季節などと。残念だがその季節から今は少し外れている。私は池の端にしゃがみ前方の六華苑を撮った。池に映る洋館と前方に見える薄青い洋館。もう半月早ければこの池に咲く黄色い花菖蒲も彩りを添えてくれた筈だ。細かい雨の降る中、私は気持ちよくこの異空間を後にしたのだった。

       ×××

 もう一時を回った。桑名駅近くへ戻って来た私は日常から比べればかなり歩いて疲れていた。腹も減っていた。本当は寿司を食べる積りでいた私はせめてそれに準ずるメニュウのある店がないかと考えながら歩いた。すると幸運にも大きな店構えの「お勝」という店があるではないか。店の前には、刺身定食の文字がある。それは千円を超えてはいたが私は店内へと入った。威勢のいい女性の声。「まだやってますか」と私。「はい。どうぞ」とどうやら女将さんと見えるその綺麗な女性は言った。

 カウンター席に座った私はすぐに注文した。「刺身定食とビール」

「はい。刺身定食とビールですね。ありがとうございます」

 ビールがすぐ出てきてカウンター上のテレビを観ながら飲んでいると十分後、刺身定食が出てきた。ご主人が木の大きなお盆に持って来たそれには驚いた。刺身は厚みが一センチはあるマグロとタイ、ハマチ、サーモンが三切れずつ綺麗に盛られている。加えて御飯とワカメの赤だし、絶妙なマヨネーズのポテトサラダ。このボリュームに驚きながらまず私の好物のタイを食べた。旨い。そしてマグロ、これも旨い…。

 食べ物にも満足した私は再び桑名駅から養老鉄道に乗り帰路に着いた。今回の旅は私の故郷の小さな川を出発する水運の歴史を辿る旅ではあったのだが、その時代はやはりきっと水運によって富を得る者と日々の食料にも苦労する者とが区別される時代でもあったと思う。それに比べれば今はその境界線は曖昧で、私などが感じる日々の”悩み”や”苦しみ”や”不条理”などはとてつもなく小さいことなのだろうと思う。もし江戸時代や明治時代や戦前の昭和に私が生きていたら何ができただろうか。ほんの少し想像する機会を得ることができたいい旅だった。


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