新しい太陽と小さな幸せ 第五話(前編) 作:越水 涼

 新しい太陽と小さな幸せ 第五話(前編) 作:越水 涼

 日陰になる屋根の隅っこや畑の一部にはまだわずかに溶けずに残る雪がある。もう降ってから一週間も経つのに寒い日が続いているからだろう。小川にはカモが群れをつくり緩やかな川の流れとは反対の向きに体を向け、陽の光が控えめにきらめく川面に数秒に一度頭を突っ込んでいる。その瞬間に逆に尻が上を向くことで見える白い腹が私は面白いと思う。水中の何か餌を取っているのだろう。この小さな者たちも本能なのだろうが、懸命に生きている。散歩の途中でのことだ。

 一昨日、帰宅すると一通の年賀状が届いていた。娘が聞く。「この人達お父さんの友達?」私は答える。「そうだよ。男のほうがね。色々遊びに行ったよ。生まれて初めてスキーに行ったのも山田君とだった」

 山田には年賀状をここ数年出していない。来てもいなかった。それも今日は六日。何でだろう?七人いる子どもの名前はこの年賀状には書かれていなく夫婦二人の名前だけだ。子どもももう大きくなったからなのだろう。長崎の平和公園のシンボルをバックに二人の腕組みの写真。久しぶりの顔。少し太ったようだ。もう最後に会ってから何年になるのだろう。二十年?いや二十五年か?そんな彼からの年賀状。嬉しかった。

 長崎に行ったのか。私は一気に思い出した。山田と長崎に行った。出会いは学生時代だが二人とも社会人になってからも独身の頃は連絡を取り合って、色々旅に行ったのだった。私にとって長崎に行ったのは会社の旅行とその一回きりだ。さすがに車ではなく電車で行った筈だがどうだったか。約三十年前の大晦日に長崎のユースホステルに泊まった。大浦天主堂のミサや眼鏡橋や自由飛行館、平和公園、稲佐山にも行った。路面電車にも乗ったように思う。細かい点は憶えていないのだが。何より私にとっては学生時代を除いて、自宅以外で年越しをするということが初めてだった。それも大人数の若者とともに同じ時を過ごした。暗い中、初詣にどこかへ行ったのも思い出した。みんな山田が誘ってくれなければ体験できなかったことだ。写真もどこかにあると思うが。

 もう一つ思い出した。そもそもユースホステルに泊まっての旅は彼とだけなのだ。木曽旅情庵ユースホステルに泊まった時に、確か駒ヶ根スキー場に行ったのが私のスキーデビューなのだ。その近辺の何年かの間にもう一か所行ったと思うのだがそのユースホステルが思い出せない。それも山の中だったと思うのだが。

 私の方が二歳上ということもあってか山田は私の言うことやわがままを受け入れてくれた。今思えば本当に貴重な経験だったと思う。今では妻や娘、会社の上司、先輩と誰もが私の考えを半分か全部は否定するのだから。彼は私が「ここなんかどうかなあ?」と言えば否定はせず「しょうがねえなあ。おっさんは。そんならそこにしよっか」と言いながら了解してくれるのだ。基本は支持か肯定か、了解してくれるのだった。後輩ながらいい奴だなと思い、その頃から私は彼のそんな姿勢を知らない間に真似ていた気がする。社長や上司が無理難題を言って来ても、拒否や否定や逃げることはせず、とりあえずやろうとする。自分の命の危機に直結することでないのなら、まあやるしかないかと思う、そんな気持ちを持つようになった。社会人になった頃は特に不安や悩みもあったはずなのだが時々会って話したり、旅に出たりすることで気分転換させてもらった。彼にはとても感謝している。

 そんな彼と初めて会ったのは、私が大学三年の春のことだ。サークルのBOXに入って来た彼は小柄で大人しそうで地味で、頼りない様に見えた。

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