或る古書店店主の物語 第二十四章 田中(一) 作:越水 涼

 第二十四章 田中(一)

 私はこの一年気ままにやって来た。定年の日、何も考えずに現実から逃避しこの島にやって来て、ひょんなことから古書店店主になった。妻や娘達ももう何も言わない。やりたいようにやればと言われている。半分諦めている。私の今の生活を”消極的に”応援してくれている。

 古書店としての利益はごく僅かなものだし、ブログの広告収入も生活費には程遠い。それでも知り合った近所の農家さんから米や野菜をもらったり、ブログを読んだ読者が食料を送ってくれたり、こんなことってあるんだいう驚きの中で何とかやって来たのだ。誰かに文句を言われることも、社会に迷惑をかけることもなく、こんなにも束縛や制約や苦痛から離れたところでの生活は六十年の人生の中でなかったことだと思う。個としてのこの自由を楽しんでいる。

 この一年、読む本も聴く音楽も飲むコーヒーも何も変わりはしなかった。ただ季節の移ろいによって変わる、周りの木々や川や田畑の風景と空の色、雲の形、風の匂い、鳥の声があってこそ私は生きて来られた。それらに生かされている。そう思う。加えて、たまに訪れる客人達。この丸五年のマスク生活。そんな中でも私はやはり、人と人とのリアルな同じ空間でのお互いの顔を突き合わせて、同じ空気を吸って、同じコーヒーを飲みながら話すことにこだわって来た。同じ時代に、同じ音楽を聴き、同じ小説を読み、同じドラマを観て、感想を言い合う。目を見て口元を見て会話をすることでしかお互いを分かり合えることなんてできない。

 昨日からの雪でここでは珍しいだろう積雪の景色を見ながら考えていた。今思ったことも五年前と同じことだ。何かを話さなければ、書かなければ、怒らなければ、泣かなければ、笑わなければ、他人同士が理解し合うことなんてできないのだ。そんなことを思いながらいつの間にか冷め切ったコーヒーを飲みほした。そしてふいに思う。この考えって誰かに教えられたことのような。ずっと若い頃に。そうか、田中が言っていたんだ。いつか年賀状を数年ぶりにくれた時以来この何年も顔さえ思い浮かべることもなかった、学生時代の終わりから社会人になってからの数年付き合いのあった、田中隆と最初に話した時に言われたことだ。

 と、”コン、コン”とドアをノックする音がした。「こんにちわ」と人の声がする。

「はい」私は店の入り口へ向かいドアを開けた。

「お久しぶりです。田中です」

 何とそこには、その田中隆が立っていた。

「ええっ?あの田中か?」

 私の声はマンガのように裏返った。暫くの間、私はその顔を凝視し微動だにしなかった。




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