ある夏の体験「視」 作:越水 涼

 ある夏の体験「視」 作:越水 涼

 ビジネスホテルにありがちなその窓の向こうに見える、夏の膨らんだ白い雲が「画面」つまり窓枠の中の上九割を占める。そしてその下には送電線の鉄塔が何本も立っている。そしてまたその下にはどうやら道があるらしく、車が左から右へ、右から左へと走っている。何せ距離があるためそれは小さくゆっくりと、おもちゃのように見える。窓枠の一番下には木や田んぼや畑や整然と並ぶ住宅や何かの大きな四角い建物がある。

 これが私のツインの部屋の二つのベッドの間に椅子を置いて座って見える窓枠越しの風景だ。しかもこの人工的な隔絶された空間には私ひとりしかいない。私のこれまでの人生の中で実は初めての体験である。つまり、ひとりで、外出不可の、数日間続くことが決められていることがである。ただ、不思議なことにどうやってここまで来たか記憶がないのだった。それでも何故か従順にここにいる。私は誰なのだろう?

 ずっと本を読んでいる。恋愛経験のない若い男女が国の政策により団地で生活する物語。合間に視線を窓に移すと、窓の外に見える構成がだいぶんと変わり、大部分を占めていた雲がいくつかに分かれ空の青い部分が拡がっていた。

 部屋の外の台に置かれていた弁当を食べ終わり、再び本を読む。もう半分を過ぎた。物語の一つの見せ場が過ぎた。また窓の向こうを見る。すると今度は上から六割が薄青い空で下三割がまとまっていない白い雲。下一割が変わらない木や田んぼや畑などだ。そんな配分に変わった。

 一日のうちに空の顔色がこんなにも変わるなんて、初めてちゃんと見たような気がする。いや、小学生の頃の夏休みだ。外で一日遊んでいる時は、それを見ていたはずだけれど。今の一日会社の中にいるような日は朝の出勤時を除いて空も一度も見もしない日のほうが多いのだ。夕刻、そして七時半。ひょっとして東の空でも夕焼けが見えるかもしれないと思って窓の向こうの風景を時々見ていた。しかし今日は夕焼け空は見られなかった。そこにはただ夜の帳が下りるだけだった。


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