秋の感傷 作:越水 涼
秋の感傷 作:越水 涼
せっかくの快晴の朝、洗濯物を干し終わった私はひとり車に乗った。母親の介護のため今朝実家に行くと言っていた妻に、私も同行するつもりでいた。だが意識が違うところにあったためか洗濯液を間違えて柔軟剤を入れるべき穴に入れてしまったのだ。こうなるとやり直しになってこのまま回した後、再度正しいやり方でやらなければならない。つまり倍の時間がかかることになる。娘が「私が洗濯やろうか?」と言ったが、妻は聞く耳を持たず娘とともに出かけてしまった。じつは今日は町の三年ぶりに開催される運動会があり私はそれを断って、妻に同行するつもりでいたのだった。今更、運動会には行けないと思った私は、やっと終わった洗濯物を干した後、無駄に”ひとりドライブ”に出たというわけだ。
ここのところ快晴が続いている。定年近い男がひとり。カッコ悪いとしか言いようがない。私はそう思いながらも後輩に聞いた週四日のそれも昼時の時間帯にしかやっていない蕎麦屋に行くことにした。その店は私の住む町の隣町にあるのだが、時間がまだ早い。時間を調整するために”貸し書斎”へと向かう。かつて鉄道が通っていたために高架になっている場所を過ぎると道に沿って生える雑草の中にススキが何本も何本もたなびいている。そしてすぐこの町の中では大きな工場が道の両側に現れる。ずっと昔私の父が働いていた工場である。売上高何千億円もある会社の地方工場である。足にハンデのあった父はある時期まで自転車で、後年は三輪車を漕いで通っていた。さっきの高架橋も年中登ったのだ。冬場の雪の積もった日もあったはずだ。苦労して育ててくれた父に今は感謝している。私が就職して数年後に退職したが、大学生の頃までは多分そんなことを思っていなかったと思う。ただ高校受験のある冬場、深夜に私が一階のトイレに行こうと二階の部屋から降りてくると、母が甲斐甲斐しく熱燗を用意し、湯豆腐か何かを食べている光景を見たことがある。夜勤から帰って遅い晩飯を食べていたのだ。そして今日もこの場所を通った時、頭を垂れるススキが道沿いに並ぶ風景がその季節に近づいていることを私に気づかせてくれたのかもしれない。
言ってみれば、定年に近づく今の私は、季節で言えば秋なのかもしれない。それも晩秋である。娘の就職が決まり、親の介護に時間をさき、会社にとって「古い」考え方を持つ最近の私は、あと何年生きられるのだろうかと思い始めた。もちろんそれは今と同じに飲み薬を必要とせず、がに股であろうが歩けて、自分の手で食べることができる状態でである。あと二十年と仮定してみる。それだけしか残されていないのかと思う。そう思うと私は一つの考えに至る。地味に本分をこなす者よりも、目立って新しいことだけをやる者を評価する会社では最低の評価しかされず、家でもリーダーシップもなく、何の取り柄もない、しがないオヤジ。その私には、あと残された時間がこれだけしかないのだ。周りにどう思われようが、何を言われようが、会社のために同僚のために家族のために、今日の風に吹かれて自分に達成感が得られるようにこなして行けばいいのではないか。誰にも感謝の言葉ももらえずとも、もういなくなって下さいと宣言されるまでは、人と比べることなく、自分を卑下することもなく笑ってそこにいればいいのではないかと思うようになったのだ。”人生の秋の夜長”に旨い酒を呑んで次の朝を迎えられればいいのではないかと。
そして、私は”蕎麦屋雲水”へと向かったのである。
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