続続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅 作:越水 涼

 続続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅 作:越水 涼

 弐月のとある日。気分転換が必要だと思った私は、土曜日が恐らく休業にはならないだろうという予測のもと、半月前に金曜日に有給休暇を取る申請を出していた。毎日の単調で、報われることの滅多にない業務が続いていた私は心を鬼にして上司の視線を顧みず、休むことにした。もちろん実際はその上司を含めすべての同僚の中で休むことが各段に少ないのが私なのであるが、小心者の私は休みを取ると言い出すことにさえまた一苦労する性格なのだ。

 今朝も、もう凍結を心配することはないものの寒い朝だった。そして快晴である。毎度の一人旅のごとく今日も名古屋に行くこと、「丸八寿司」に行くこと、執筆することは決めていた。そしてネットでたまたま見た国内の数か所で限定的にしかやっていない或る映画を観ることも。実は最近気乗りではなかったガラパゴスケイタイからスマホへの転換をさせられた私は、持った以上は活用しなくてはとの思いに駆られ、LINEの友だち追加やGoogleマップで目的地まで行ったりしてみたわけだ。極度の方向オンチの私がいつも迷って辿り着けない、名古屋の「安曇野庵」もめでたく開店間際に着いて昼食その弐を食べた。その壱が「丸八寿司」のランチと麦酒であることは言うまでもないが。

 この弐か所で飲んだことで、ほろ酔い気分の私が何やらハイテンションになって、わざわざこの地まで歩いて来てこれを執筆しているというのである。日々の労働の中では、ごくごく限られたせいぜい十人程度の人と限られた事務的な会話で一日が終わってしまう。引き換え、今朝だけでも地下道や道路で恐らく百人単位の人々とすれ違い、表情を垣間見て、雰囲気を垣間見て、例えば「丸八寿司」の同じ時間にいた二人連れの女性客にも何か親近感が湧いたのだ。私よりも少し上の年齢と想像したが、その二人は喪服姿で、姉妹のようにも見えたが、それらしい内容の会話はなく、注文する声とネタや刺身について美味しいとか、ありがとうございますとか言う声しか私は聞かなかった。それでも、日々の会社での時間に比べれば、この場所でのこのたまたま遭遇しただけのこの人たちの声にさえ、私は大きな助けというか、癒しのようなものをもらったのである。加えて言うなら、十時の開店直後に入った私に対して、かなりの不愛想感を醸し出した、板前さんに対しても、ちょっと待ってねと言われ、席はあっちのほうにと言われ、その態度に私はむっと来たのだったが、そのあと様子を見ていると、店員が一人だということ、恐らく耳が遠いということ、「あっち」の席が日が差し込む場所だからということが分かって、板前さんにそんな悪気はないのだと思えたというわけだ。

 仕事もそうだが、この執筆もずっとできていなくて、それがストレスになっていた。今日こそは今日こそはと思っていても、残業が長引いたり、もう疲れて寝たいと思ったりでこの一か月半書けなかった。とはいえ、そんなことは極めて小さなことだ。住む場所を追われたわけでもない、一日三食も食べている、この二点だけで幸せと思わなかったら絶対愚か者だろう。当たり前に思っていることが日本中、世界中を見渡せばこの二点でさえままならない人々が大勢いるのだから。

 先人は私たちにいい言葉を残してくれた。「目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む」とか「自分を元気づける一番良い方法は、誰か他の人を元気づけてあげることだ」とか「チャンスは、それに備えている者に微笑むものだ」とか「戦争があってもやっぱり鳥は普通に鳴くし、花は咲くし、空は青い自分がどれだけ落ち込んでも、太陽は照らしてくれる。変わらない日常があることが救い」というように。沈みがちな心でも、前向きな気持ちを思い出して、掘り起こして、想像して、何とか生きて行きたいと私は思うのだ。




 


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