喪失からの出発(四) 作:越水 涼

 喪失からの出発(四) 作:越水 涼

 この天気の中にいると、何もかもが上手くいっているかのような錯覚に陥るのは私だけだろうか?澄み渡る空、歩道の脇のツツジ、ほどよい風。何の迷いも、不安もないかのような気持ち。四十年前の私もそんな気持ちだったのだろう。父に宛てた、昭和六十一年十一月十四日の消印が押された封筒がある。今年が昭和百年とのことらしいがほぼ四十年前に私が書いた手紙だ。

 前略 そのごみんな元気でしょうか?さて、郵便外務職員試験の一次に合格したことをお知らせします。それで、先回と同じように同封した紙に印を役場でもらって来てもらい速達でこちらへ返送してほしいのです。おそらくこの手紙がそちらへ着くのは土曜の午後で役場はやっていないでしょうから、月曜の朝のうちに郵便局へ行ってもらい速達でこちらへ送ってください。火曜のうちにこちらに着くはずです。水曜に豊橋で二次試験があるのでそれに間に合わせたいので。よろしくお願いします。それではまた。草々 十一月十四日 越水涼

 余りにも温かみのない手紙である。私はこの頃公務員試験をいろいろ受けていたのだと思うが、ただ”公務員”と呼ばれる、それだけが目的だったように思う。そこで何かを目指すとか、何かをやってみたいとかいう野望、目的は持ち合わせていなかった。大学は四年で、そのあとは社会に出なきゃならないからということだけ。どうせなら安定していると聞かされていた公務員。この頃アルバイトはしていたが、母からの仕送りに頼り、下宿のすぐ近くの郵便局で金を引き出した。その足で、パチンコ屋へ走り、一時間後には一文無し。馬鹿な野郎だ。母からの手紙の裏に張り付けてあった万札もそうやって消えていった。手紙には勉強や生活に必要なものを買うようにとか、ちゃんと栄養を取れとか書いてあっても、そんな風に無駄に使っていたのだ。母には世話をかけるだけの息子だった。とうとう何も返せなかった。

 五月、十五年前は死ぬことばかり考えていた。仕事で精神的に追い詰められていた。もとより小心者の私にそんな気は本気ではなく、それからというものいまだに本当の笑顔を取り戻せないままこんな歳になってしまった。今はただ、せめてもの家族の平穏とたまの旅行ぐらいが私を生かしているのだった。

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