エッセイ//私の道草日記 其の10 越水 涼

 2020.10.11

  床屋・散髪のことを話します。私は定年近いオヤジなので白髪交じりではありますが、髪は多く、硬く月に1回程、今回は遅かったという時でも40日に1回程、床屋に行っています。

 勿論、人それぞれで、中には月に2回とか、逆に3ヶ月に1回という方もおられるかもしれませんが、多分私は平均的な部類かと思っています。

 私が行っている床屋は全国チェーンで、私の家から車で15分程度の圏内に2店舗あり、その片方に行っています。税込1,540円でカット、顔そり、シャンプーをしてもらいます。有り余ったお金があるわけでもなく、特にヘアースタイルにこだわりもない私にはこの店は丁度いい店だと思っています。スタッフは店長ともう一人で何ヶ月か前にその人が代わってしまいました。結構な歳の方でした(スタッフAさん)。順番的に店長に当たった時は”ウルトラマン”、スタッフAさんに当たると”渡る世間は鬼ばかり”の初代岡倉大吉のような感じに仕上がってしまいます。「横と後ろを刈り上げにして上の方は丸く、3ミリで」と言うのですが、その二者では結果は大きく違います。難しいものです。私は、”ウルトラマン”がいいので、順番的にそちらになった時は「ラッキー」と心で叫んでいます。

 さて、やってもらっている最中は私は目をつむります。夜眠る時以外で目をつむることは約20分とは言え、この時以外はありません。それはそれで、いい気分転換になります。耳には店内に流れるラジオ番組の音が入ってきますがそれを聞きながらも、何を考えるでもない無心に近づけるような気がします。この後何をしようかとか、月曜の仕事のこと、小説のこと、時には昔行っていた床屋のことを思い出したりします。

 床屋って月に1回として年10~12回、小学生から行くようになったとして約50年、今まで500~600回行っている計算です。そんなにかと。でも人生で継続してやっている事柄としては、食べること・眠ること以外ではそんなにあるものでもないので、床屋に行く(美容院に行く)ということって、平凡ですがすごく大事なことなんだなあと思うのです。

 小学校から高校までは、歩いて行ける近所の夫婦でやっている床屋に行っていました。記憶では母に500円紙幣をもらって、すぐ近所の子を誘って行きました。その店には、単行本の”ブラックジャック”やら”ガキデカ”やら”ドカベン”やらが置いてあったので、家では漫画本を買ってもらえなかった私は、それを読みながらの散髪が楽しかったことと、まだ若いその奥さんに顔を剃ってもらう時のドキドキ感が記憶にあります。

 大学時代には、大学構内にあった生協の経営する床屋で生まれて初めてパーマをかけていわゆる”おばさんパーマ”になったり(髪が多くて硬いのでそうなります)、安い床屋を探して行っていました。

 就職して数年はパーマを続けていて、おしゃれな美容院でカラーマニキュアもやっていたので、その当時今から三十年以上前ですが、8,000円位したように思います。今思えば、よくそんなに出していたなと思います。その後は、全国チェーンの4つ程の店を一定せず行っていました。そして、ここ10年位は同じ店に行っているという次第です。今、行っている店には何年かのあいだ私の父と一緒に行っていました。父が亡くなってから、私が一人でそこへ行くと、事情を話した私にお悔やみの言葉を頂きました。杖をつき、耳も遠い父に店の方はもちろん仕事とは言え、やさしく接して頂きました。

 歳をとっても、毎日風呂に入り、髪や爪や住む部屋をきれいにして生きて行きたいと思うのです。ある決まった状態(きれいな状態)でなくなったら、なくなりつつあったら、元に(きれいな状態に)戻す・リセットするっていうことを心掛けたいと思っています。

 床屋の話から始めて大袈裟かもしれませんが、死ぬ時まで体も心も身綺麗にしておけたらと思うのです。さあ明日床屋へ行こうと思います。数えたら36日経っていました。

 

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