片道一九八〇円の旅 四.手塚治虫展 作:越水 涼

 四.手塚治虫展

 今朝JR豊橋駅ビルを歩いていると豊橋市美術博物館で”手塚治虫展”を開催中だと知った浩二はそこに行くことに決めた。入場料が千円とは言え是非観てみたいと思った。漫画・アニメなのに(なのにという言い方こそおかしいが)ストーリー性やスピリットがあり、自身の考えを読者や観る人に伝えて何かを感じ取ってほしいと切望した手塚治虫。浩二も鉄腕アトムやジャングル大帝、リボンの騎士、不思議なメルモ、ブラック・ジャックといった作品を読んだり観たりしたことがある。

 建物のすぐ前にある花壇に埋め込んである時計の前を通る時、その針は丁度十二時を指していた。そのことに少し感激しつつ歩き、数秒後に手塚治虫展の大きな看板の掲げられた玄関に入って行った。

 まず大きなアトムの人形が迎えてくれた。数々の漫画の登場人物四十以上が集合した大きなシート。ブラック・ジャックの原画、手塚治虫の実際の仕事机がある。展示は四つのエリアに分けられていて原画や資料、映像などを見ることが出来、平日にも関わらず多くの客がいた。

 浩二の目に飛び込んで来たのが手塚治虫の母に対しての思いの文章だ。〈ぼくの人生を決定的にし、ぼくという人格をつくり、何よりもぼくを生んでくれた母は、少なくともぼくにとっては偉大であり、誇るべき人であり、世の数億の女性とは別格の人で…〉と掲示されている。これは記録しておかねばと思い、すぐさま肩の鞄からノートとボールペンを取り出し、この一文をメモし始めた。と、係の女性が歩み寄って来た。

「ボールペンは使わないで下さい。この鉛筆でお願いします」と言う。

「あっ、すみません」

 浩二はすぐに何故だか分からずも鉛筆を受け取った。説明によると、美術館などではそのボールペンなどのインクやシャープペンの芯が展示物に飛んで汚したり傷つけたりする可能性があるからという理由らしい。思い返すと美術館でメモを取ろうとしたことは生まれて初めてでこんなシチュエーションは無かったのだ。彼はノートを鞄にしまい再び掲示物を見る。

 好きな漫画の道に進むか医者になるかで迷った時も母が手塚の背中を押してくれたという。”あなたが好きなことをやるのがいいのよ”と。漫画というものがまだ世の中で認知されていない時代に、母親のその肯定や味方になってくれたことがあったから漫画家としての手塚治虫を生んだ(二度も母は産んだ)とも言えるのだと思った。

 展示の一つ一つをしっかり見ていたが、浩二は昼に飲んだビールと蕎麦湯のせいか実は三つ目のエリアの辺りからトイレに行きたくなっていた。何とか我慢してやっとのことで全てを見終えた。最後の部屋には丁度社員旅行での記念撮影の様に手塚治虫が前列真ん中に立ち、手塚治虫の生み出したキャラクターがざっと百ぐらいだろうかその周りに並んでいる。これらのキャラクター達の姿や言葉や行動を通して、手塚治虫の人間、自然、命、運命、心、愛といったものを全霊で表現したのだと思った。

 携帯を広げて時間を見ると一時半を回っていた。一時間半も見ていたのか。紹介されている原画の説明文をじっくり読んだからだ。浩二の経験上そんな長時間美術館や博物館で滞在したことは無かった。そして、平日の昼間に男性・女性問わずかなり多くの人が入っていたのには驚いた。それが手塚治虫展だからなのか、豊橋市が文化都市ということなのかは分からない。ただ、今日偶然にもこの展覧会を見ることができたことに彼はひどく満足していた。

 美術博物館を出ると晴れ渡る秋の日射しが降って来た。黄や赤の木々の葉も綺麗だ。彼は公園内のもう一つの目的の吉田城の方向へ向かった。吉田城には浩二が学生時代に先輩に連れられて夜来たのと、恋人と別れて豊橋を離れると決まった日に来たことがあった。その二度目のことは吉田城そのものではないのだが。

 吉田城の横を通り過ぎて、石段を下りるとすぐに豊川がある。その豊川の静かな水面を昼間でも寒い二月に一人見ていたのだ。豊橋での五年の月日の色んなことを思い出し、彼女とのこともまだ吹っ切れないままにじっと見ていた。今日とは違い曇り空で特に寒い日だった。これでこの街ともサヨナラかと思う気持ちが余計に彼を寒く感じさせたのかも知れない。


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