佐々木君どうしてる? 第八章 東京見物 作:越水 涼

  第八章 東京見物

 いつもなら十一月の二十日を過ぎれば見られる市立図書館の並木に飾られる白い光の粒が、今年は無い。二人肩を寄せて歩く恋人たちの姿も見えない。私は市立図書館の入る建物にくっついているスターバックスで、冷めたコーヒーを啜った。窓の外を見ている。今年は並木の電飾がない代わりに建設中の市庁舎の所々に点いている照明や、工事中のエリアを仕切るLEDの小さな電球が遠くまで見える。

 店の外に出ると小雨が降り始めた。イブの夜のこの風景は今年のこの状況を象徴しているとでも言わせたいのだろうか。クリスマスのイベントや忘年会、正月の行事といった、謂わば良くも悪くも日常の生活に一つの切りを付ける、リセットする、ワンクッション置くということをやるなと言うのはどうなんだろう。日々の生活が沈みがちな人にとってはその悪い状態がずっと続くということになるんじゃないか。日々色んな厭なことがありそれをクリアする作業をするのが今は難しい。

 せめて来年はいつもの電飾の並木を見たい。今年もあと二日で仕事納めとなるが来年はあたり前の日常を送りたい。

            ×××

 結局、佐々木と私は南山大学に入ることは無かった。佐々木は勿論南山大学に合格したが、第一志望だった法政大学にも合格していて東京へと旅立った。一方私は共通一次試験が散々な上に南山大学にも落ち、豊橋にある愛知大学へ入学した。最初、佐々木はあくせくした雰囲気の都会での生活に戸惑い、孤独感を味わいながらも二年生になると開園したばかりの東京ディズニーランドでバイトを始めた。手紙に楽しくやっていると書いてあったのだ。私はあの神経質な佐々木と東京ディズニーランドのイメージが結びつかなかったのを覚えている。

 マンモス校での講義は何か一方的で、講義中に教室の後ろの席で公務員試験の勉強をする者、女子学生とお喋りする者、机に突っ伏して寝ている者がいる一方で最前列に陣取り必死にノートを取る者がいたりと多種多様な学生がいるとも書いていた。

 大学二年の春休みに私は東京の荻窪の佐々木の下宿へ泊った。東京見物に連れて行ってもらうためだ。オーバーを着てマフラーまでしているその時の写真を今でも妙に覚えている。泊めてもらった彼の部屋は幅が狭く奥に長い部屋だった。電気こたつに入って眠ったように思う。東京へは中学の修学旅行で訪れて以来だった。山手線に乗って、上野動物園、東京タワー、新宿御苑、NHK放送センター、不忍池などテレビや小説の中でしか知らない場所へ連れて行ってもらった。楽しかった。

「河井、東京の感想はどう?」

「そうやなあ、何か落ち着かんなあ。僕は田んぼのあぜ道でも歩いとる方がいいなあ。さっきの喫茶店なんて、おしぼりもないし、水もないのに八百円やろ。豊橋じゃあ考えられんわ」

 そう、一説には「モーニングサービス」の発祥地とも言われている豊橋の喫茶店ではコーヒーを頼めば、トーストと茶碗蒸し、ゆで卵、サラダ、ヤクルトがついてくるのだ。それも二百五十円で。

「そうだな。物価は田舎に比べれば高いさ。でもやっぱり、文化の中心地やで。やる気になれば何でもできる気にはなるぞ」

 そうだ。『青春の門』の主人公の伊吹信介も、東京での色んな可能性に胸を膨らませて田舎から出て行ったのだった。

「ええなあ。僕も本当は東京の大学来たかったなあ」

「今回は一泊だったけど、またいつでも遊びに来てくれや。今度はまた違うとこに連れてったるわ。東京にしかないようなとこにさ」

 佐々木は笑いながら言ってくれた。私はお金を貯めてきっと来ようと思った。

 就職や結婚などまだ先のことと思っていたこの時期。お金さえ都合付けば、時間はいくらでもあったこの時期にもっともっと色んなことができたのに、と私がやっと考えられたのはこの後何十年も後のことだった…。

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