エッセイ//私の道草日記 其の14 越水 涼

2021.1.18

 今日昼休み、娘が借りていた本を図書館へ返しに行きました。四冊の経済学の本です。彼女が卒論の参考文献として借りていたものです。

 私も三十五年くらい前に卒論を書きました。今のように横書きでパソコンで”打つ”のではなく文字通り万年筆で縦書きの原稿用紙に書きました。実は先日、昔の雑多なものを整理していたらその製本した卒論が出てきたのです。こんな字を書いていたのかと思いました。先輩か教務課からか教えてもらった製本屋で提出用と自分用の恐らく二冊だけ作ったのでしょう。幾らくらい払ったのかの記憶もさっぱりありません。

 ハードカバーの表紙。娘のは紙のファイルに綴じてありましたから形だけ見れば私の卒論のほうが娘のよりだんぜん立派に見えます。でも本当は内容が大事ですし、同時に書いた自分自身が如何に真剣に向き合ったかのほうが評価されるべきことだと思います。

 それは卒論に限らず、毎日の時間をその人がどう生きたかが問われるべきことです。私なぞは大学時代遊んで暮らしたとしか言えません。親が慎ましく生活して作り出してくれたお金を仕送りとしてもらい、即座にパチンコ屋へ行き使ってしまう。当時の日本育英会の奨学金が確か三万九千円だったのですが、それも数日で使ってしまう、というような生活でした。まだ、同時に勉強もしっかりやるとか友人をいっぱい作ったのならいいのですが、全くでした。酒と煙草とコーヒーと文庫本との生活でした。

 娘の本を返しに行った行き帰り、晴れていても冷たい風に吹かれながら、そんなことを思い出した今日の昼休みでした。

 では一句 

 今日こそは今日こそはといつまでたっても今日こそは    越水 涼



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