或る古書店店主の物語 第三章 ある予感 作:越水 涼

第三章 ある予感 

 フェリーが港へ入ったのは予定時刻通りの十六時五十分だった。夕焼けまでにはもう少し時間がありそうだった。老人が港に置いていた軽トラックに私達は乗り込んだ。車の中でこの島の霊場の一番札所がある小高い山に古書店があると老人は話した。港からは車で十五分ぐらいかかると言った。そしてそこは単独の店ではなく、昔、それも戦前の陸軍士官学校の青年将校の寄宿舎をリフォームして今はシェアハウスとしていくつかの店舗が入っている、そのうちの一つだと言う。

「私はそこに寝泊まりすればいいということですか?」

「はい、そうです。二つの隣り合わせの部屋が中で繋がっていて片方が店舗、片方が住居というわけです」

「そうなんですか。あなたもそこに住んでおられるのですか?」

「いえ、私は別に家があり店には通っています」

「家にご家族もおられるのですね?」

「いえ、私は一人です」

「あっそうなんですか?」私は少し大袈裟に驚いて言った。

「かつては家族がいましたが、今は一人なんです。もう二十年になります」

 私はそれ以上に聞くことはやめて、車窓の外を見た。車は緩やかな山道を登って行く。畑や田圃が見え、その合間にぽつんぽつんと家が見える。季節の為か米は勿論のこと野菜も栽培されているようには見えない。たまに何かの苗を植えたばかりの場所もあるにはあった。

 車のスピードが落ちたなと思うと、急に目の前に平坦な荒れ地が現れた。そこが何となく広い駐車場になっているらしく五台の車が停まっていた。私達の車もその隣に停まった。そして二人降りた。前方にはいやに高さのある平屋の瓦葺で同じ大きさの窓がある木造の建物があった。真ん中が玄関のようで引き戸が閉まっている。建物の前には松の木が数本並んでいた。

 老人が玄関に入り私も続く。入ってすぐ右側には水道とタイル貼りの洗い場とガス台があり、左側には洗濯機があった。左右に廊下が延びている。

「ここの台所と洗濯機は共同の物ですから自由に使って下さい。それと、トイレはこの廊下を左へ行って一番端にあります」

「あっ、そうなんですか」

 さすがに私はいくらリフォームがしてあるとしても、この初めて見る古ぼけた戦前に建てられたという建物の雰囲気と構造に驚いていた。と同時に実は私は自分の通った中学校の校舎に似ているなあとも思っていたのだ。平屋で瓦葺の木造校舎の廊下はいくらゆっくり歩いてもきゅっ、きゅっ、と音をたてた。まさにそれを思い出していた。

 左右に延びる廊下の両側に部屋が並んでいる。老人は右に行く廊下を数歩進みその部屋の扉の前で止まった。

「ここが私の店です」老人は扉の上部を見上げて言った。私もそれにつられて見ると、扉に打ち付けた木の板に”織衣布古書堂”と書かれている。廊下の向かい側の部屋の扉には”食堂 希”と大きな布に書かれて貼られている。その部屋の中からはテレビ番組の音が聞こえた。すると私を見て老人が言った。

「ここは食堂ですから。一般的なメニュウなら大抵ありますよ。それとうちのお隣さんは生花店、その隣は薬屋さん。まあ、追々お近付きになって行けばいいでしょう」

 そして老人は”織衣布古書堂”の扉の鍵を開けて押した。扉の内側の上部に付いているカウベルが「からん、ころん」と鳴った。十畳位ありそうな部屋には何列も本棚があり本がびっしりと並んでいる。本とは別に大きなスピーカーとステレオデッキが置かれその傍には何枚もCDやLPが並んでいた。私はそのLPを抜き出してジャケットを見た。”ビートルズ””井上陽水””RCサクセション””五輪真弓””荒井由実”の名前があった。

 老人はその私の横を通って奥の部屋へと消えた。そして暫くして芳ばしい香りのコーヒーを二つ持って来た。部屋の真ん中のテーブルにそれを置いて言った。

「まあ、話しましょうか」

 窓の外には海と小さな島々が見え夕日が沈むところだった。



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