エッセイ//私の道草日記 其の21 越水 涼

 2021.5.21

 会社ですから、それぞれの”事情”で退職する人がいます。今日も今月末で退職する女性社員が、出社は今日が最後とのことで、お菓子を配りながらあいさつ回りをしていました。入社して三年の子です。彼女は蕪村の俳句「菜の花や 月は東に 日は西に」と印刷された包装紙のせんべいをくれました。私は昼休みで食堂にひとり、愛妻弁当を食べているところでした。私が自席にいなかったためわざわざ食堂に来てくれたのでした。

「今日で会社に来るのは最後なんで、○○さんお世話になりました」と彼女。

「いやあ、何もお世話しませんで」と私。

 たいていの場合こんな会話になってしまいます。同じ課の子ならまだしも、私は事務職で彼女はデザイナーなので、三年間同じ会社という”組織”にいても直接仕事で一緒に何かをやった”時間”がないのです。実際、通路などですれ違う時のあいさつと、一度ソフトボールの練習を会社のみんなでやった時に少し話したくらいでした。

 けれど私はいつも思うのです。もし偶然道端やスーパーか何かで会うことがあったら、きっと「いやあ久しぶりやなあ。元気でやっとるか?」と満面の笑みで手を挙げようと。彼女がなぜ会社をやめる決心をしたのか、これから何をやるつもりなのか本当は聞けばよかったのかもしれません。今までもそれを聞いた相手はいます。ただ聞いたところであまり意味はないのです。この場所にいたくなくなったか、よりよい場所を求めたか、または家庭の事情かくらいしか理由はないでしょう。何十人もの辞めて行く人達を見ながら私が思って来たのは、やめる勇気があるだけすごいな、ということです。私が三十年以上この会社から出て行かなかったのはただ、勇気がなかっただけですから。自分に自信がなかっただけですから。

 私がもっとかっこよくて、コンピューターに詳しくて、声が大きくて、背が高くて、スポーツ万能で、ギターが弾けたら、この会社を辞めていたことでしょう。ただ私は、計算機の文字が見えないくらい計算機を使い、お客様が来られるたび、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を自分では大きいつもりの声で言い、同僚の女性社員から仕事上のことから恋愛のことまで相談に乗り、片や食堂に置くお茶作りやら、トイレ掃除もやるし、決算書の作成や株主総会の準備、配当金の支払い手配まで、毎日毎日やって来ただけなのです。

 失敗や処理の遅さに怒られることはあっても褒められることは一切なく、愚痴を言い出せばキリはありません。目の前に定年が迫っています。その後もこの会社にとどまるのかどうか、まだ結論が出せません。定年が近づいている皆さんは今何を考えておられるのでしょうか。定年で辞めてどうするの?と言われれば、頭の中には色々あります。親の介護、畑仕事、旅行、読書、楽器、料理、(娘に子どもができれば)子守り、町内会長のしごと…。さてどうしましょうか。

 時を同じくして、今日、先日あった健康診断の結果が来ました。私としては初めて、バリウムの胃の検査で異常があり、”経過観察”とあったのです。”要精密検査”だとそれはそれでドキドキですが、例えば胃カメラで検査を受けたほうがいいだろうか、妻には言おうか、言うまいか、と悩んでいます。まだ死にたくはないのですが、なんせ”経過観察”ですから、どうしたものか…。とりあえず明日は休日、ゆっくり休みましょうか。

 

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