ほろ酔い加減でひとり旅(一) 作:越水 涼


 ほろ酔い加減でひとり旅(一) 作:越水 涼

 二〇××年の六月のある日、梅雨の合間の曇り空の日、私は大垣駅前にいた。大垣駅と言ってもJRと樽見鉄道と養老鉄道があるが、私はある目的をもって養老鉄道大垣駅から旅を始めようとしていた。ここへ来る途中のコンビニで買ったオリオンビールをチューイングガムを肴に飲みながら、駅前のロータリーに乗り入れる近鉄バスと、それに乗り込む通勤、通学の人々を眺めていた。母が若い頃に働いていたと一度だけ聞いた大垣の老舗料亭のこと。まだ小学校に上がる前に母に連れられて来たヤナゲンや母の弟の家。大垣と私の故郷と、母の実家がある町とは近い。

 この旅には二つの目的があった。一つは単純に”休養”だ。仕事の忙しい時期から解放されたまには休暇を取りたかった。朝からビールなんてやはり金曜の休暇でしか難しい。もう一つは昔聞いたことがある歴史的な話を辿ってみること。それは自動車や鉄道がまだ輸送手段として存在しない時代に、私の故郷の「三水川」が物資の輸送に使われていたというのだ。江戸時代から明治時代にかけてだ。あの幅が五メートルもない藻が見えるような(昔はもっと深かったとしても)浅い川を舟で山の材木や米や野菜などを乗せて南へ下る。そして何倍も大きな根尾川に入り、揖斐川に入り桑名まで行っていたらしい。行きはいいとしても帰りが大変だ。帰りは桑名で蛤を始め色んな産物を乗せて川の流れに逆らって故郷に戻って来る。そんなことができるのかと思った。何の動力もない舟ですごいことだと思って聞いたものだ。その川を辿るため、大垣から揖斐川に沿うようにして走る養老鉄道に乗って桑名まで行ってみたいと思った。私は恐らく桑名には「マイカル桑名」と「ナガシマスパーランド」しか行ったことがない。今日の場合、時間やお金のことも考えると桑名が丁度いい。一度でもいい、桑名の町を歩いて見てみようと思った。今週に入ってその思いが日に日に増して行った。

 このローカル鉄道の始発は大垣。歴史ある地方都市だ。かつては豊富な地下水を活用して、繊維の町として栄えた。世界的な電気・電子会社もある。私の勝手な印象では、寂れてはいるが住むのには適度な規模の町だと思う。今朝、ほろ酔い気分で九時八分発の車両に乗り込んだ。三両編成だったが私の乗った車両には客は二人しかいない。向かい合わせの座席だった。私が昔、通学と通勤に乗った故郷の鉄道の電車にもこういうのがあった。進行方向に向いてではなく横向きに座っているからか余計に電車の振動が複雑に感じる。前の車窓越しに水を張った田んぼや畑が一面に広がる。時々家々が立ち並ぶ場所もあった。前方に大きな山々が見えると思っていると鉄道の軌道が変わって行った。そうするとさっきまでは前方に見えていた山脈が右手に見えて来た。電車は上下、左右に揺れながら「ガタンゴトン、キー」という音をさせながら走って行った。そして十時二十分、徐々にスピードを落として桑名に着いた。

 駅前に立った私は、ロータリーに並ぶバスを見て大垣に似ていると思った。そしてこの桑名もまた、JRと近鉄、養老鉄道、三岐鉄道と四つもの鉄道があるのだ。町の空気が大垣に似ているような気がした。そして気の向くまま通りを渡り歩いて行くと、商店街があったのだが、楽しみにしていた寿司屋は何と閉店していた。昨日ホームページを見たのに。ホームページだけが残っていたようだ。残念だが先を急ごう。私は予め調べておいた六華園を目指し、大きな通り八間通りを東へ歩くことにした。今日は曇り空、片道二キロから三キロくらいなら歩いても大丈夫だろう。

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