或る古書店店主の物語 第十五章 亜紀(四) 作:越水 涼

 第十五章 亜紀(四)

 大抵の朝はパンとコーヒーの私にとって、白米と味噌汁と佃煮と卵の朝食はとても幸せな気持ちにさせてくれた。いつものような出勤前の朝とは違って、ゆっくりと朝食を味わって食べた。大袈裟ではなく人間にとって朝食が美味しく頂けるってことは基本だと思う。

「どうでした?ご飯美味しいでしょう?」私の心を見透かすように店主は微笑んだ。

「はい。すごく久しぶりです。こんな美味しい朝食を食べたのは。健康っていいですよね。病院では気分も沈んで行くばかりでしたし…」

「そうだね。私も昔外科的な手術で入院したことがあったけど、何か滅入るよねえ。あっ、馴れ馴れしく言っちゃったね。まあいっか」六十歳だとホームページに書かれていた店主は何だか面白い人だ。続けて店主は言った。

「ところで、亜紀さん。岐阜県なんだね?くれた手紙の消印がそうだったから」

「ええ、そうです」

「ホームページには書いてないけど僕もそうなんだよ。奇遇だね」

「あっそうなんですね。じゃあ、メディコスとか新しくなった岐阜市役所とかもご存じなんですか?」

「もちろん知ってるよ。と言うより毎日その前を通って通勤していたから。会社帰りに寄ったりしてたし」私にもメディコスには思い出がある。会社の同じ課の、父と同い年の人と写真やポスターを見に行ったり、その後にラーメンを食べに連れて行ってもらったりしたのだった。

「じゃあ、本題に入ろうか?お悩み相談ね。そう”夜明けの雨はミルク色”ってユーミンの歌は僕も大好きだよ」

「えっ、どうして私がその歌好きなのを知ってるんですか?」私は驚いて言った。

「はっ、はっ、はっ」店主は大きく笑った。私はどういうことか分からない。

「だって、亜紀さん。彼への手紙を一緒に送ってくれたじゃない?間違えて入れたんだろうけど」

「あっ」やっと理解した私は顔が熱くなって行くのを感じていた。そうか、彼から何の反応もないのは手紙が彼の元に届いていなかったからなのか。

「そうだ、コーヒーでも淹れるかな?」

「はい。頂きます」

 店主は奥の部屋に入って行った。少ししてコーヒーミルの音がした。LP盤の雑音の様なガリガリ言うその音はしばらく続いた。すると私の座る後ろのスピーカーから、ユーミンの「雨の街を」が流れて来たのだ。私の大好きな曲。でもこれはB面の三曲目の曲。店主はそこまで計算してわざとB面をかけていたの?

”夜明けの雨はミルク色 静かな街に ささやきながら降りて来る 妖精たちよ”

 私は目を閉じてその歌に聴き入った。



※第十二章からの亜紀のストーリーは荒井由実の「雨の街を」から着想したものであることをお断りしておきます 著者


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