新しい太陽と小さな幸せ 第三話(前編) 作:越水 涼

 新しい太陽と小さな幸せ 第三話(前編) 作:越水 涼

 通勤の国道沿いに柿がなっている。右側にも左側にも枝が折れそうに橙色に実った柿がなっている。黄金の稲穂が頭を垂れている。私はそういったものに季節の移ろいを感じる。「移ろい」という言葉の響きには何故だか「秋」がぴったり来る。

 先々週にはまだ三十度を超えていたのに、今日はそこまでは暑くない。ふと思い立って休暇を取って、私は名古屋へ向かった。三十五年前の記憶から逃れられないでいる私は、大垣から熱田までの切符を買った。熱田神宮を訪れてみたいと思ったのと、以前ドラマに登場した”神宮小路”のラーメン屋へも行きたかった。

 熱田で降りた私は、熱田が舞台になったある映画のパンフレットの中にある地図を見ながら熱田神宮がある方向へと歩いた。少しの坂道を上り終えると「神宮前商店街」が現れた。ほとんどの店はシャッターが下ろされていた。せっかくの大きな神宮のすぐそばにありながら現代ではこの状態なのか。あまりに残念だと思った。その商店街のアーケードが切れた前方に名鉄の神宮前駅があった。工事をしている。私がサークルの仲間と三十五年前に出た駅はここだっただろうか。記憶を辿ってみても分からない。その時も皆で熱田神宮に来たのだった。手元にその時の写真がある。まだまだ若かった私も左端に立っている。”おばさんパーマ”をかけて何故だか黒のサングラスをかけている。少しだが微笑んでいるのが分かる。この中には年賀状のやり取りだけが続いている奴や、大学を去ってから会ったことのない子も写っている。いや、その子には正確には一度だけ会った。遭ったと言う方が正確だ。余りにも偶然に、名古屋で会ったのだった。弘子。私が学生時代に唯一愛した女。そんな時代のことを私は今日、熱田神宮で思い出したいと思ったのだ。

 横断歩道を渡って駐車場を見ながら入って行く。大きな鳥居の前で一礼して左側を歩く。何だ、このひんやりとした空気は。快晴の十一時過ぎの日差しを遮った大きな木々が、両側から歩道を覆うように繁って、その陰で大きな温度差を作っているのだ。少し汗ばんでいた私の体はだんだんと落ち着いて行った。しばらく歩いた突き当りを右に歩いて行くと先に本宮があった。うん、確かにこれだ。この前で本宮にお尻を向けて私達は写真を撮っている。何を考えていたんだろうか。あの頃の私は。二十一歳の春。思い出したところで何になる?でも何になるって考えることが必要のないことだと思いたい。何かしてみたいこと、行ってみたいこと、それが昔のみじめったらしい若き日々を辿る旅だったとしてもいいじゃないか。そして、もしこの写真の彼らにこれから先に本当に会うことができたら、今日のことを話してやろう、そう思った。私は賽銭を投じて、お参りをした。「皆が新しい太陽の下で楽しく生きていますように」と願いながら。

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