新しい太陽と小さな幸せ 第三話(後編) 作:越水 涼

 新しい太陽と小さな幸せ 第三話(後編) 作:越水 涼

 丁度、結婚式をここでするのであろう。十人程のそれとわかる人達がいた。どうか幸せになって下さいと、思いながら私は歩き出した。途中、本来は非日常の空間と思っていた神宮内にきしめんの店があるのには驚いた。そう、今日の私の目的は、日常ではないものに会うこと。この神宮のように千九百年も前から存在している空間に身を置いたり、何十年も前に来た場所へ来て記憶を辿ることだったのだ。そういう場所に何時間かでも身を置くことで、何か新しい自分が現れて来るのではないかと期待したのだった。昔からそこに存在していても、たまたま私が遭遇することがなかった物や人に会いに来たのだ。

 熱田神宮を出てからまた横断歩道を渡る。そしていつからか是非来たいと思っていた、”神宮小路”の入り口の前に着いた。十二時。夢にまで見た昼呑みへいざ。何十年も整備されないまま過ぎたエリア。恐らく一周しても五分か十分の区画の中にその店はあった。えん楽。名古屋のテレビ局が制作したドラマに何度も出て来たラーメン屋だ。ネットで調べるとその店のご主人は八十七歳というではないか。行くしかないと思ったのだ。

 カウンターの左に一人、先客がいた。奥のテーブルで奥さんが煙草を吸っている。そうか、料理をご主人が作っている間は休憩なのか。奥さんは煙草を半分もみ消して注文を取りに寄って来る。奥さんが持って来てくれたメニュウから私は注文する。

「ラーメンと天津飯とビールで」

「ビールは瓶でいいかね?」

「はい」

 奥の小さな冷蔵庫から「サッポロ黒ラベル」を持って来てくれる。すると、ご主人が小鉢の煮魚を勧めてくれた。私はグラスに冷えたビールを注ぎ込み一気に飲む。今までの人生でも数えるほどしかない「昼呑み」だ。私にとってはこれもまた非日常。右手の天井下にテレビがあり、それを観ていた私は、ご主人の動きを一部しか見ていなかったのだが、真っ黒の重そうな丸い鉄のフライパンをガスコンロの上でぐるぐるさせながら、私の天津飯用のご飯を炒めていた。白い洋食屋で見るような服装のご主人。よく八十七歳で頑張っているなあと思い見ていた。恐らく、ラーメンも同時進行で作っていたのか、一緒にカウンター越しに出してくれる。ふと気づくと、いつの間にか二組客が来ていた。私は楽しみにしていたこの食事を始める。ただ、凝った味ではない。値段からしたらこんなもんかと思いながら一気に食べた。ビールの大瓶の酔いも回りいい気分だ。「サッポロ黒ラベル」は実は私が社会人になった時代に家で飲んでいた銘柄なのだ。お盆だったか、従妹の旦那さんがアメリカ人なのだが、彼が家に来た時もこれだった。「日本のビールは美味しいねえ」ともちろん英語で言っていたのを思い出した。

 そんなことを考えながら、このお二人も五十年もこの場所で、毎日毎日ラーメンやチャーハンや天津飯や餃子を作って来たんだと思うと、何て素晴らしいんだと思う。今よりもっと客が多くて儲かっていた時代もあったんじゃないかと私は勝手に想像する。そしてこの奥さんも今では深く刻まれた皺も、若い頃は勿論なくて、凄い美人で、軽い冗談も客に掛けながら店を切り盛りしていたのだろうと。変わらないもの、変わっていくもの、どちらがよくてどちらがよくないかなんて、場合によるよなあと思いつつ。その人自身がその状況や境遇を良しと思えて生きていればいいんじゃないかと思うのだ。

 また、いつか来たい。今度は誰かと一緒に…。

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