或る古書店店主の物語 第二十七章 田中(四) 作:越水 涼

 第二十七章 田中(四)

 あの頃『寒水魚』『予感』『はじめまして』の歌が”孤独”な私の心を癒してくれていた。ふたりの会話の中にも中島みゆきを好きだということは出たし、私達が出すミニコミ誌にも『中島みゆき論』なんて題して一丁前に書いたこともあった。その内容は全く憶えていないのが情けない限りなのだが。私と田中はしばらく黙りこくったままCDを聴き続けた。

 私は入学当初大学生とは何ぞや、どうあるべきかを考えていた。高校生の時に出合った、五木寛之氏の『青春の門』の主人公のように自分という人間がまだ分からないから自分が生を受けた人間として何がやりたいのか、何ができるのか、家族に対して社会に対して、大人としてどう生きていくのかその答えを探すための大学四年間の積りだった。

 最初は漠然と考えていた。将来はテレビ局で感動的なドラマやルポルタージュを作るとか、新聞記者になって世の中の矛盾を突くとか、出版社で人々の心を揺さぶる小説を出す編集者になるなんて夢などと。しかしそれもいつの間にか消えて行った。それはきっと自分の弱さゆえに他ならない。何につけ、誰かがやってくれる、誰かに教わればいい、真似すればいいと。自分で突き詰めて考えようとしないのだ。自分で具体的に何をすべきか考えることができない人間だったのだ。自分で何かを決断することから逃げていた。

 だから彼、田中と出会った時にはもう、自分のことしか考えない人間だった。目の前にあることだけをやっていればいいかと。部長という立場だったから一応話を聞いたり、説明はするのだが、世界が広がるような、自分の確固とした主体的な考えではなくてあくまでも第三者的な見方でしか物事を見られない。目の前の損得や欲望や気分をもっと先の目標や目的や希望や夢や大きな世界のことより優先していたのだ。安定していると言われていた公務員の試験を受けるために余分に一年、親を泣かせてまで残った。そういう自分のわがままで猶予した時間さえ大事に使わなかった。

 私の頭や心の中がそういう状態だったことはその後社会人になっての彼との付き合いの中でもついぞ話すことなく終わってしまった。例えば旅の途中の車の中でも、宿泊先の部屋でも話そうと思えばいくらでもチャンスはあったと思う。今に至るまで私のそんな気持ちを語ることはなかった。恋に破れ、猶予をもらった試験にも落ち、先輩ずらして何を話せるというのか。大学を去る冬、安アパートの近くの個人商店にダンボールに詰めた荷物を持ち込み、故郷に送った。そして、逃げるように去って行った。その一年前の三月母に卒業式に泊まりがけで来てもらった。アパートから十分程のところにあった大衆食堂でその前日晩飯を一緒に食べた。瓶ビールも注文した。今までの人生の中でも私が母とサシで外食したのはそれ以外にない。母は最後にはいつも私の見方になってくれた。そんな母に対してもその後の一年は裏切りの時間になってしまった。

 後輩達のことを放って自分勝手に社会人になることはそれまでの色んな思いも考えも捨てて別の人間として生きることと同等だった。そのあたりのことを、単なる言い訳でしかないにせよ田中にはちゃんと話しておかないといけない。

「すまなかったと思ってる。最後の一年もう自分には関係ないって態度を取ったよね。就職活動のためとは言っても余りに水くさい。ごめんな」

「そんなこと分かってましたよ。誰だって自分のことが一番大事ですし。限られた同じ時間しかないなら、それぞれが使いたいように使いますよ」

「でももうちょっと顔を出すべきだった。田中の困ってることや悩みを聞いてやる時間くらいあった筈なんだ。実際、バイトや本ばかり読んでいて、試験勉強なんて全然してなかったんだから。本当に申し訳ない」

「もう。昔のことですから。でもあの時えらかったです。僕の他は後輩ばかりで自分が何らかの方針や結論を出さないといけない。その重圧ってもう、大きかったですよ。何を書いても売れないんなら、何を載せるか議論することのほうが無駄だって思うようにもなって」

「そうだよね。僕らには金がないから広告収入に頼る。広告を見てもらおうと思ったら発行部数を増やさないといけない。買ってもらわないといけない。そのためには面白、可笑しい物を載せないといけない。でも、それって自分が書きたくて書く内容じゃないのなら、それでいいのかって思えて来る。何やってるんだろうって」

「そうなんです。僕は昔、河井さんに生意気にも言ったように、喫茶店の紹介をして何になるのって。勿論、それを深く書けばいいんでしょうけど。その店主の経歴が変わっていてとか、こんなポリシーを持ってコーヒーを選んでるとか。喫茶店の経営って難しいんだよってことが分かるような内容を書くとか。単に簡単な情報だけならわざわざ載せなくてもいいんじゃないかって。僕は基本、親のすねかじりの学生も社会の全ての出来事と繋がっていると、それは日本のことも世界のこともです。だから、一見関係ないようにも思える遠い国の戦争のことや原発事故のことも書いたりしたんですよね」

「うん。でも、そういう記事は硬いとか言われて見向きもしないのが学生だった」

「悩みました。何が正解なのか、分からないんです。でも僕は硬いって言われようがせめて半分は書きたい、そういう譲れない気持ちがあって」

「そうだな。田中、頑張ってたんだな」

 CDは最後の歌、”ファイト”が始まる。誰かにどう言われようがどう思われようが、自分の意思で自分の思うように生きればいいんだ、とその歌は言っているように思えた。同時に、意思の弱いその時の自分と闘い続けて生きて行くことこそが君の生まれて来た意味なのだと。 


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