或る古書店店主の物語 第三十章 弘子(二) 作:越水 涼

 第三十章 弘子(二) 

「へぇ~、色々あるのね。ブログでは紹介されてたけど、実際に来ないと分からないものね。こんなにもあるんだね」弘子はそう言いながら一冊本を抜き出している。

「ああ、一応古書店だからね」

「”平場の月”朝倉かすみ、か」弘子はそれを一枚一枚捲りながら呟く。

「知ってるの?それ」

「うん。読んだよ。確か診察か検査で来た病院の売店で偶然再会したんだよね。五十代になってた中学の同級生に。あ、変な言い方だね、二人ともだけどね。で、中学の時告白して振られてたその男が主人公で」

「そうだね」

「病気のこともあって色々考えて女の方が距離を置くことにして、でも一年後に会う約束をしたけど、それが叶わなかった…。そんな話だったっけ?」

「うーん。ごめん。俺もさ、読んでる時はもうどきどきで、このストーリーいいなあって思って読み進むんだけど、一ヶ月も経つと忘れちゃうんだよなあ。でも、弘子、今かなり省略したよね?もっと色々あったよなあ?」

「ははっ、そうね。私も細かい所までは覚えないの」

「そっか。でもね、俺はさ、この本にはすごく感動したのは確かで、読んでた時に会社の朝の五分間スピーチでも紹介したんだよね。それは覚えてるなあ。当たり前に昇る太陽や月やを眺める時に傍に誰かがいてほしい。”平場”つまり普通の、平凡な生活を一緒に過ごす象徴として空の月が置かれているんだよな。何もイベントはないにしても、これから歳をとっていくばっかの男女が静かに淡々と”生活”して行く、それだけでいいって多分二人とも思ってたんだと思う。でも女の方が悩んで悩んで、きっと悔しかったのに諦めたんだよね。結論を出すのって難しいことだけど、好きだから身を引いたのかなって。俺はそう想像した。そんな感じかな?」

「あれっ、浩二さんてば文芸評論家みたいになってるよ」

 弘子がくすくす笑った。口を押えるのに両手を使う。昔と変わってない、と浩二は思った。その横顔を見ながら言った。

「全部、ここにある本は俺の中学時代から今まで読んで来た本なんだよ。かなり偏ってるけどね」

「それでいいんじゃないの?その時その時でいいと思った本なんだから。類は友を呼ぶんだし」

「ああ、そうかもな。そうだ、弘子、コーヒー飲むか?」

「うん。戴くわ」

 弘子はそう言った後、本棚を指さしながら読み上げた。

「朝倉かすみ、森絵都、村山由佳、桐野夏生、桜木紫乃、明野照葉、角田光代、西村賢太、篠田節子、五木寛之…」

「その辺りは定年前の五、六年によく読んでたな。月に五冊位。子どもにも妻にも相手にされなくなった頃だよ」

「え~、そんな言い方ないんじゃない?」

 言いながら弘子は浩二の腕を叩く。浩二は笑いながら奥の部屋へコーヒーを淹れに行った。


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