ある夏の体験「聴」 作:越水 涼

 ある夏の体験「聴」 作:越水 涼

 この隔絶された空間、それでも様々な音や声を”聴く”ことができる。何十年も前の型のエアコンの音。廊下から聞こえるごみ回収の台車の音。内線電話の鳴る控えめな音。健康観察の看護師の声。それに答える自分の声。ボールペンを机に置く音。パソコンのマウスをクリックしたり、キーボードを叩く音。一日二回突然に流れる「ラジオ体操第一」の放送。その体操で自分が跳んで着地する音。後付けされたであろう「ナノイー」の音。冷蔵庫の音。テレビの高校野球の実況。コーヒーを淹れる時のポットからお湯が出る音。スティックシュガーが滑り落ちる音。私がコーヒーを啜り飲む音。体温計の計測完了を知らせる音。ケータイから聞こえる上司の声。スピーカーから流れる「ただ今よりお弁当の配膳を開始します。配膳が完了するまでお部屋から出られないようお願いします」と言う若い女性の声。トイレの水を流す音。シャワーのお湯が体に当たる音。時折僅かに聞こえる隣の部屋の物音。

 いつもは今何の音が聞こえているか、発しているかなんて、意識にさえ上らない。しかし、この隔絶された場所ではこれらの音や声が自分は生きていることを確認させてくれる。これらさえ聞こえなかったら私はどうなるだろうか?ひとりでいるよりふたりでいるほうがいいけれど、ひとりでいてもこれらの「聴」が存在することに私はまだ大きく安堵している。

 窓の外の風景は見える。そして、この窓を開けることができれば、空に浮かぶ雲が流れる音は聞こえないにしても、目の前に見える工場のリフトのバックの警告音や夏の蝉の声や救急車のサイレンやそういったものの音までもが聞こえるのだろう。

 スピーカーを通しての人間の声でも、動物や虫の声でも、道具や機械が発する音でもそれが私に聞こえるなら感謝しよう。自分が発する、ため息もまた今聴くことができた。


 

コメント

人気の投稿