ある夏の体験「想」 作:越水 涼

 ある夏の体験「想」 作:越水 涼

 五泊六日で帰宅の予定とはここに連れて来られる前に聞いていた。例えば新婚旅行、例えば家族旅行、例えば学生の合宿なら楽しいだろう。しかし、これは全く違う。療養施設なのだ。ある医学的見地と政治的な方策で執行された。そう聞いている。私が誰なのか、本当は分からない。ただ、私の持っているケータイや手帳や身分証明書には名前があり、本人確認もそれに従って、そのように返答して来た。○○という名前の私は「陽性者」だから他の者との接触を断つために政策に基づきここに送り込まれたのだ。

 いづれにしても、この空間の中で朝六時半に目覚め夜十一時に寝る生活が、来た日を入れて四日目となった。かつて病気で入院したことはあった。それでも見舞いの家族とは会えたし、廊下へも出ることができた。今は鏡に映る自分や窓越しの風景やテレビの画像に限ってしか「視る」ことができず、受話器やスピーカーを通してしか人間の声を「聴く」ことができない。

 そう考えているとケータイの音が鳴った。表示は会社だった。私はケータイを耳に密着させ仕事の話をする。私の代わりに今からやる仕事について部長に毎日毎日同じ説明をする。やったことのない作業をお互いにケータイでの声だけで説明するのはやはり難しいのだ。思うことはいくつもある。欠員状態を放置したまま私の声を聞かずにいたからこんなことになっている。一人休めばこうなるのは分かっていた。多岐に亘る業務を二人ができるようにマニュアルを作り、説明をする時間を確保するのには欠員状態では時間的に無理だと言っているのに何もして来なかったのだ。おかしい点を言い出せばきりがない。

 ふと父のことを想い出す。色んな事情があり亡くなる前数年は「独居老人」になった。あの時の父も今の私のように種々の制限のある生活を強いられていた。それもこんな数日どころではなく千日以上も一人の夜を過ごしたのだった。元気な老人とはほど遠い、身体的にいくつものハンデのある父はその点でも元々見えない壁に囲まれて生活していたのだ。それに比べれば今の私の境遇は単なる気分転換の時間を賄い付きで貰ったに過ぎないとも言える。

 そうであるなら、私にできることはただ一つ。折角の時間、ここにある物を利用してできることをやるしかないのだ。時間もある。パソコンもある。WOWOWが観られるテレビもある。本も三冊ある。ガラケーもある。酒や菓子はなく、生身の人間にも会えないが一日三食の弁当も与えられる。

 テレビでは岐阜県代表の県立岐阜商業の試合。大差をつけられてしまっても懸命に闘う選手や応援を続ける生徒の顔を見ると私は泣きそうになる。どんな悪い状態でも、それが自分のせいでなくても腐ってはいけない。その条件下でできることを考えてやるしかないのだ。こんなことを考える夏はもう二度とないだろう。

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