続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅(前篇) 作:越水 涼

 続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅(前篇) 作:越水 涼

 ときわアーケードを抜け信号のない道を渡るとその店はあった。「喫茶フォルム」いまどき珍しい”純喫茶”と言えるのだろう。壁には絵が飾られ、テーブルは円。年季が入っている。ここに来るのはいつ以来だろうか?ときわアーケードの「鈴木珈琲店」が今日は定休日だったのだ。だからこちらに来たと言えなくもない。ただはっきり言えることは、私がまだ十八歳の”子ども”だった時に初めて来たこと。その頃の私は貧乏学生であると同時に、五木寛之の『青春の門』を愛読していて、”大人”になろうと背伸びをしていた。そして大人になるためのいくつかの手段を考えていた。学問。アルバイト。映画。女。煙草。酒。麻雀。パチンコ。コーヒー。特にコーヒー(=喫茶店探訪)はその中では貧乏学生の私でもまだ簡単にできる部類のものだったのだ。

 私は今日の旅の終わりにここで古い記憶を手繰り寄せることを試みた。今から四十年前に生まれた場所から初めて家族と離れて暮らすことになった、青春時代の五年間を過ごした街。この地方都市は日本でも指折りの喫茶店の多い街だった。「ペニーレーン」「鈴木珈琲店」「北緯35度」「サテンドール」「スモールポンド」「亜羅人」「A-ONE」等々。最初は全部先輩などに連れられて行った店だ。おそらく一度しか行ったことのない店でもその光景を思い出すことができる。例えば、サテンドールへは同じ下宿の先輩に最初に連れて行かれた。そこで私が言ったことは共通一次試験の点数が五百五十点だったなどとかで、それじゃあ国立は無理だわなといった会話を思い出すことができる。まだ会って間もない頃で、入試のことや高校での部活のことなどを話したのだと思う。十八歳の自分がこれからどんな学生生活を送るのか、どんな人間になっていくのか何も分からない時だった。ただ、目の前にあることは何でもやってみようとは思っていたと思う。性に合わないなと思えば途中でやめればいいんだろうと思っていた。

 ただ、近年この街にふらっと訪れる度に思うことがある。あの頃から時間が経てば経つほど、当時の店はなくなって、当時過ごした風景とは変わって行く。そして同時に私の頭の中の記憶も勝手に変わって行く。何十年と隔てる中でその店の場所も店主の顔も、もしかしたら本当は当時のままに存在していたとしても私の記憶の方が変形しているのかも知れないのだ。今日の旅のスタートで観た映画のストーリーがまさにそれだった…。


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