或る古書店店主の物語 第四十四章 恵子(七) 作:越水 涼
第四十四章 恵子(七) 作:越水 涼
「自由って言うのは、評価が適当でも支障がないってことなのね。でもこれはあくまで公立の話だけどね。私立だと評価が違ってることが、あとあと大きな問題になると思うから」
「よくわからないんだけど」
「まあ、分からないかもね。自由っていうと少し違うかもね。授業中全然集中していない子がテストでいい点を取ることもある。授業では発表もして、ちゃんと聞いているように見える子がテストでは全然っていう子もいるの。そんな時の評価ってどうすればいいのって話」
「なるほど」
「つまり、テストで取れる子は家でか塾でかしっかり頭で理解してるからってことだと思うのよ。授業で発表する子は印象をよくしようっていう気が働く子の場合が多いかな。だけど目立っているだけで本当のところ理解していない子はテストで点が取れない」
「会社と同じだね。声がでかくて目立つ奴と、黙々としっかりやっている奴といて、正当に評価されない」
「うん、でもそれとはちょっと違うかなあ。だけど、何でもそうだと思うけど、見えるところ、見えないところが当然あって、でもそれなるべく先生の側は見る努力をしないといけないと思うのね。見えにくいところも見る。その子の全部を見てあげる、気にかけてあげる努力を継続するっていうその一点なの。教師の仕事って。もちろん勉強だけじゃなくって、その他のことも全部ね。一年生であろうと六年生であろうと関係なくそう思ってやって来たよ。教師の教師である意味はそこにのみあると思う。少なくとも私はそう思って今までやって来たの。さっき自由って言ったのはちゃんと見ることをする自由ってこと」
「う~ん。大体分かる…。気がする」
恵子の話は痛いほど分かっていた。かつての私の仕事で言えば、助けを求めていた課員を別の課員から守ってやれなかったこと。体力的にも精神的にもおかしくなっていた父を気にかけてやれなかったこと。人間は生まれたばかりの赤ん坊も、長く生きて来た老人も、誰であろうと、誰かに見てもらっている、気にしてもらっているって思えないと生きていけないんだと思う。そういう意味で恵子が学校での色んな場面でやって来たことは本当に大変だったんだろうと想像できた。
「本当に?分かってる?」
「分かるさ、これでも二人の娘大人にしたんだから」
「そうか、そうだったね。立派だよ。河井君」
立派なんて言ってくれた恵子には申し訳ないが、娘を大人にしたのは私ではなかった。いつも周りの誰かにやってもらったことばかりなのだ。妻が娘達を育てたのだ。父や母のこともそうだった。自分では決められない私はただ時間が解決してくれるのを待っていただけなのだ。情けない人間だと思う。
「あら、どうかした?難しい顔して。そしたらさ、違う楽しい話ししようよ。これからにつながる話とかさ」そう言って恵子はやっとお替りのコーヒーを一口飲んだのだった。
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