続続続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅 作:越水 涼

 続続続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅 作:越水 涼

 昨日やっと、定年後継続雇用申請書を上司に出した私は、あらかじめ取得しておいた今日の有給休暇の過ごし方を朝まで決めあぐねていた。いつものように十二時間まで六百円の駐車場に車を停めた。もうとっくに会社から諦められている私にとって、せめて半分の有休は取得したいと最近思うようになった。極端に若手に媚びを売り、ベテランには当然のごとく昇給のないこの会社に私は未だしがみつき、あろうことか継続雇用を申請している。この気持ちは半分の人は理解してくれないだろうが、半分の人は理解してくれると私は思っている。

 つまり、こういうことだ。私のノートにメモしてある言葉。「人生のどんな隅にも、どんなつまらなさそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ」誰の言葉かまでは書いていないからわからないのだが、私もそう思う。三十年超のベテランだからと言って当たり前のように多くの仕事を振られ、残業を強いられ、新入社員より低い基本給で、毎日毎日それ程の変わり映えしない業務。そうであっても、同僚に「ああそういうことですか、助かりました」と言われればうれしいと思うし、他の課の人間に「早く発行してもらってよかったです」と言われれば報われた気にもなるのだ。毎朝六時に起きて、妻が弁当を作ってくれる間に朝食と身支度をすませ、ゴミ出しの日にはゴミ袋を持って、「行って来ま~す。気を付けてね」と叫んで七時には家を出る。そして近くに借りている駐車場から車で会社へ向かう。会社に着けばまだ始業まで四十分あるのに仕事に取り掛かる。この日常がやはり貴重な時間なのだと最近思えるようになった。

 決めあぐねてはいた私だが二つのプランはあった。かねてからユーチューブでも観て知っていた柳橋中央市場にある「中華そば大河」へ初めて来た。朝の片づけで騒々しい市場の通路にある長テーブルで、山になったもやしに細麺の中華そばとキリン一番搾り。汗をおしぼりで拭き拭き満腹になり、ほろ酔い加減の私。千二百三十円也。小さな幸せである。次に私は、幼少期にテレビで親しんだ鬼太郎の作者、水木しげるの世界を紹介しているという名古屋市博物館へと向かった。彼が描いた百を超える妖怪の原画や様々な資料が掲示されていた。水木しげるよりもっと昔の本もあり何百年も前に色んな人が絵に残していたのだと驚いた。どの時代の人々にも、きっと生活の中での悩みがあり、ストレスがあり、喜びも悲しみも怒りもあった。その時々の気持ちが目の前に、背中に妖怪の存在を感じさせたのだ。

 私は思う。今は健康と言える範疇にいるが、人間いつどうなるか分からない。これから六十、七十と歳を重ねるにつれ間違いなく死ぬ可能性は高まる。でも、妻や娘達も、孫達も健康でいて、私は安くて好きな物を食べて、酒もできれば毎日飲んで、おおよそ誰の目にも留まらないだろう小説を書いて、好きな作家の小説を読めればそれでいいと思う。もちろん払って来た年金分以上の年金をもらって、三か月ぐらいの闘病後に家族に見守られながら死ねれば申し分ないが。これが今の、定年まで半年に迫った私の心情と計画である。明日も精一杯、楽しく生きよう。そうだ、せっかくだから明日久しぶりにラジオ体操に行ってみるか。


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