五十五年前へタイムスリップした話(後篇) 作:越水 涼

 五十五年前へタイムスリップした話(後篇) 作:越水 涼

「私達、私と夫と息子ですけど、五十五年位になるかしらね」

「そうなんですね。私には全然山元さんの記憶はないものですから」

「そうでしょうねえ。それで、貴方は河井さんの息子さんなんですね?」

「はい、父はもう亡くなりましたが」

「そうですか、洋裁をやってみえたのね。確かご夫婦でね」

「はい、そうです」

「貴方のお祖母さんもおられたわね?」

「はい、もう亡くなって十五年位でしょうか」

「ああ、そうですか。お祖母さんもしっかりされた方だったわね。貴方がよちよち歩きの頃に朝早くから私の家に来て、息子を呼びに来たんですよ」

「はあ、そうなんですか」

「その貴方をいつもお祖母さんが追い掛けて来られて、まだ朝ご飯の途中で出て行ってしまうって困っておられたのよ」

 当然ながら私にはそんな光景の記憶はなかった。少し話を伺うと、山元さんは旦那さんの仕事の関係で私の町からは程なく愛知県の春日井市へ引っ越したのだと言う。色々な話を聞いているうちに、一つだけ思い出したことがあった。黒い犬の傍に三、四歳位の私ともう一人同じ年頃の男の子が写る白黒写真だ。この子は誰だろうともう少し年月が経った時に見て思ったのだった。

「そう言われると、以前家にあった古い写真の中に知らない男の子と私が並んで写った写真を見た記憶がありますよ」

「そうでしょう。毎日のように遊びに来ていらしたのよ、貴方。その写真はどなたが撮ったかわからないけれど」

 私は何か変な気持ちになった。こちら側には記憶のない女性と恐らく五十五年位経って電話で話しているのだ。お互い今の顔も背格好も知らない、もうすぐ還暦の男とその母親世代の女が。

「貴方があの時のねえ。毎朝、私の息子のところへ遊びに来られたのよ、貴方。あの坊やが町内会長さん。立派になられたわねえ」

「いえ、町内会長といっても小さな町ですし、年齢の順なので」

「そうだわ。貴方をいつもお祖母さんが追い掛けて来られたのよ。ご飯の途中でって毎朝、毎朝…」

 私はやっと気づいた。さっきもう聞いたよな。何回も何回も同じ話。もしかすると、山元さんは認知症なのかもしれない。

「はあ、あの時の坊やが。貴方ですか。お祖母さん、ご飯の途中で出てっちゃうって困っておられたわ」

「はい。そうでしたか。そろそろ、失礼しますね。今回はお墓のこと、すみませんでした。こちらの管理がしっかりできてなかったようで」

「はい。息子がちゃんとやってくれたはずですよ」

「ええ。すみませんでした。それと昔の話が聞けて良かったです。山元さんもお体大事にして下さいね。あの写真探してみます」

「あの坊やが、町内会長さん…」

「それでは失礼します」

 繰り返しがまだまだ続きそうな気がした私は、少々強引に電話を終わらせたのだった。ただ一つ言えることは、たまたま「墓地委員」になった私がせっかくだからしっかり仕事をしようと手紙を出した。それをちゃんと読んでくれた老婦人が電話をくれた。そして私が折り返しの電話をした。そして大昔の記憶を彼女が思い起こしてくれた。この一連のことがタイムスリップを起こしてくれたのだと思う。この五十五年前の私の家と山元さんの家での毎朝繰り返された光景を現在に感じさせてくれた。奇妙でかつ奇跡的な体験だった。


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