続続続続続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅 作:越水 涼

 続続続続続続続続・ほろ酔い加減でひとり旅 作:越水 涼

 朝の車にも暖房を入れるようになった晩秋の或る日、私は名古屋へ出向いた。此の間、九月からの疲労を少しでも解消しようと、一人になった。敬老会、運動会、インボイス開始、火災保険、祝電、弔電、会社の業績不振、人員不足による残業…、挙げたらきりがない。疲れた。幸いにも風邪一つ引かず何とか、体重は五十七キロから五十九キロで安定している。財布から五千円を出し切符を買う。残りは背広の左ポケットに入れた。今日の旅はこれで足りるだろうか。

 今日で確か四回目の”丸八寿司”に十時半入店。中寿司のランチと麒麟ラガー。演歌流れる店内の黙々と作業をする板前たち。この空間で味わって食べる寿司は何物にも替え難い。そして、朝からビール。ほろ酔い加減が何とも言えない。最後に濃くて熱い赤だしとお茶を飲みほしてお勘定。千五百四十円なり。そうかビールは五百円プラス税か。このカウンターで妻と酒を呑むのが夢だ。この店のこといつ話せるかな。機嫌が余程よくないと、そんなわからんとこ行きたくないわ、となるから。

 地下鉄に乗り、愛知県美術館へ。つい最近興味を持った、安井仲治展に行く。特に芸術的というのでもないが、身近な、なんとはない題材で、何か観る者を惹きつける写真だった。やはりモノクロの世界、ぼけたような写真こそインパクトがあるのかもしれない。

  さいごは映画。実際の事件を題材にした作品で、見終わった後は強い虚脱感とやるせない気持ちが私の頭の中と心の中に交錯した。日々の生活の中にも実際は見えていたり、気づいていたりしてもわざと意識から遠ざけようとしていることは一杯ある。”月”は実際には球形であってもこちらからは欠けて見える。時によって見えたり見えなかったりするのだ。しかし、世の中の自分の周りに起きている”問題”については、きっと自らが積極的に見ようとしていない、考えようとしていない、つまり逃げているから見えないのだろう。かといって、私のような小さな人間が、それらのことを全てきちんと対峙し解決しようとしたら、命がいくつあっても足りないだろう。しかし、こう思うことそれ自体が逃げているということなのだ。日々起こる問題から逃げてばかりで生きてきたのがこの私なのだ。

 とはいえ、そう長くない人生。これからも逃げ続けるか、一つでも多く対峙するか、どちらを取るかが、いま問われている。


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