あたらしい朝に 作:越水 涼

 あたらしい朝に 作:越水 涼

 私の朝の経路に時間が合えば交通安全の地域の大人達が子どもを守る活動をしているのに出くわす。そこで何となくの違和感を覚えることがある。車ではなく人と人がすれ違うのであれば、知人であれば会釈くらいするだろう。一言二言声も掛け合うだろう。だが、私の車に対して、知り合いでもないその黄色姿の人は頭を下げるのだ。必ずだ。その時私は敢えてそちらを見ないようにする。まっすぐ前を見て運転している。車のガラス越しに会釈する必要があるのだろうか?何か交通安全上必要な時はクラクションを使ったり、ライトを使ったりして対向車や人に伝えようとするだろう。まさか、おはようございますを伝えるのに人と車で会釈しあうなんて必要は断じてないと私は思っている。

 それは一年を通してのことだ。交通安全のための活動そのものには頭が下がる思いだ。しかし、すれ違いざまに頭を下げる必要はない。下げられっぱなしは嫌なものだ。だからと言って、私はそのルートを変えようとは思わない。私の子どもを連想するからだ。今となっては自分で稼げるように成長した娘達もかつては黄色い帽子を被り、黄色いリュックを背負って通学した。通学するわが子を見て喜び、その時間がいかに貴いものか分かっているつもりだ。その集団の中にかつての娘の姿を見ているのだ。

 さて、今日の私の弁当の弁当箱の上に今シーズン初めての「保冷剤」が載せられていた。妻の愛。私はかつての喜びの記憶と今の感謝を胸に抱いて今朝、労働へと向かう。

 経路上の違和感はそう、どうでもいいことだ。

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