或る古書店店主の物語 第四十九章 恵子(十二) 作:越水 涼
第四十九章 恵子(十二) 作:越水 涼
こんな話を聞かせるつもりはなかった。遠くから来てくれた古い友人、否初恋の女性に対してもっと他に話すべきことがあるのではないのか。後悔し始めている自分の気持ちに気付いていた。だが、軌道修正できない自分がいた。こんな愚痴を並び立てるだけなら、相手は会社の後輩で十分だ。
「ごめんな、こんな話」やっと口にした。
「ううん、私も色々聞いてもらったし」
「オレさ、ここに逃げて来て、毎日時間はあるんだよ。だからさ、昼間に店番したりブログ書いたりしながらも、ふと、当時の会社でのことなんかを思い出したりしてね。毎日毎日、妻や子どものためにはやっぱり、行きたくなくても行って山積みの仕事をこなしてたことなんか。それが十年、二十年と続いて、ある日何も考えられなくなった時は、妻も言ってくれたよ。会社なんて辞めればいいんだから、私が何とかするよって」
「へえ、強い奥さんじゃない」
「そうなんだよね。オレにはもったいない奥さん」
「うん。優しくしてあげないとね、これからも」
「わかってるさ。それで、最近考えるんだ。半分夢の中で思ったことかもしれないけど。人生って区分するなら四つの時間でできてるなあって思って。幸福の時間、投資の時間、役割の時間、浪費の時間。それで、人生の目的があるとすれば、幸福の時間を増やすことなんじゃないかってね」
「なるほどね、まあ、その通りなんじゃない?」
「うん。でもね、人によって、何を”幸福”って思うか違うと思うんだよね。他の三つの時間のほうを幸福と感じるならそれでいいんじゃないかって。結局、生きてる時間全部が幸福の時間そのものなんじゃないかって」
「うん。わかったような、わからないような」
「今となっては、会社にいて文句ばっかり言ってたんだけど、それも含めてみんな生きるってことなんだよね。当たり前だけど、喜怒哀楽全部ある。晴れの日もあるし土砂降りの日もある。そうなら何か見返りなんて考えずに毎日悩みながらでも前向いて生きて行かないとなって思うようになったんだ」
こんなことを話し続ける私を、恵子は涼しげな眼でじっと見ていた。
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